今回は、第3話「秒速5センチメートル」を徹底的に考察し、作品がなぜ「鬱映画」だと言われるのか、そしてラストシーンに込められた本当のメッセージを読み解いていきます。
この動画を見ると、きっとあなたの『秒速5センチメートル』に対する印象が変わるはずです。
見どころ
- 見どころ1:大人と子供の対比:★★★★★
- 見どころ2:背景の色の変化:★★★★★
- 見どころ3:希望に満ちたラスト:★★★★★
大人になること=悲しみに慣れること?
第3話は、大人になった貴樹が東京でシステムエンジニアとして働くシーンから始まります。仕事に没頭する日々の中で、彼はいつしか目的を見失い、付き合っていた女性とも別れてしまいます。
映画の冒頭、満開の桜の下で貴樹は一人微笑みます。一見、明里との思い出に浸っているようですが、実はこの解釈は間違いです。
第1話で二人が見ていたのは「散りゆく桜の花びら」でした。大人になった貴樹が満開の桜をただ美しいと感じるこの描写は、彼が幼少期の感性を失ってしまったことを示しています。小説版では、明里との思い出の言葉を忘れてしまったことにも触れられています。
別れの電話をかけてきた元彼女の背後に雪が降り始めるシーンも、「雪=別れや悲しみ」というテーマを象徴しています。しかし、二人とも悲しみに耐えたり、感情が乱れる様子はありません。これは、彼らが「悲しみや別れを自然なものとして受け入れてしまった」ことを意味しているのではないでしょうか。
豆知識:貴樹がベランダで吸うタバコから立ち上る煙は、かつてロケットに憧れていた彼のくすぶった思いを示しているという考察があります。また、コンビニで立ち読みする宇宙探索雑誌を本棚に戻す行動も、幼少期のような情熱が失われていることを表現しているのかもしれません。
一方、明里も結婚が決まり、電車の中で疲れたような表情をしています。窓の冊子の影が執拗に彼女の顔に重なる描写は、彼女の心の重荷を表しているようです。左手の薬指に光る婚約指輪も、彼女の心に呪いのように光っているように見えます。
明里は子供の頃、心を動かされれば空の鳥を気に留め、雪が降れば桜みたいと無邪気な感情を抱いていました。しかし、大人になった彼女が見つめる街並みは灰色で、雪はただの雪です。彼女の心が動くことはありません。
第1話で中学生だった貴樹は、雪の中、激しく揺れる電車で明里の元へ向かいました。その車内は蛍光灯がまたたき、窓は結露し、熱量に満ちていました。それは、明里への純粋な思いが作り出した「熱」だったのかもしれません。第3話の冷めた風景と比較すると、過去の貴樹の姿はより一層美しく見えます。
「秒速5センチメートル」の本当のテーマ
主題歌「One more time, One more chance」とともにタイトルが表示されるシーン。背景に降っているのは、桜の花びらではなく「雪」です。この作品は、桜をテーマにしたように見えて、実は「別れと悲しみ」を主題にしていることが分かります。
そして、この作品が描く「大人」とは、悲しみに慣れてしまった人たちです。雪が降る東京の街を歩く人々は、誰も傘をさしていません。雪の予報を知っているはずなのに、無関心です。それは、降り注ぐ悲しみに対して、いちいち過剰に反応しなくなった大人たちの姿を表しているのではないでしょうか。
第1話の冒頭、桜の花びらに対して傘をさしたのは小学生の明里でした。この対比は、大人と子供の描写を明確に分ける新海監督の意図が感じられます。
さらに、貴樹は「ただ生活をしているだけで、悲しさはそこここに積もる。日に干したシーツにも、洗面所の歯ブラシにも、携帯電話の履歴にも」とモノローグで語ります。
この「積もる」という言葉は、部屋の埃を連想させますが、同時に雪を意味しているとも考えられます。悲しみという雪が、私たちの日常のあらゆる場所に降り積もっていく。それが大人になることだと、この作品は教えてくれているのです。
踏切のラストシーンが意味するもの
物語のクライマックス、大人になった貴樹と明里は踏切ですれ違います。通過する電車によって二人の姿は見えなくなり、電車が通り過ぎた後、明里はすでにその場から去っています。まるで、これまでもそうだったように、明里は貴樹の先を行く存在でした。
踏切は心の変化を表すモチーフであり、すれ違う電車は二人が別々の道を歩むことを示しています。明里が先に去った様子を見た貴樹は、一瞬残念そうな顔をしますが、すぐに元の方向へ振り返り、笑顔で歩き出します。
このラストは、貴樹が過去の思い出から解放され、ついに前に進むことを決意した瞬間だと解釈できます。この作品は、貴樹の一途な恋が報われない悲しい物語ではありますが、最後は「前に進むこと」を祝福する、明るいメッセージで締めくくられています。
ではなぜ、これほどまでにポジティブな結末なのに、多くの人が「鬱作品だ」と感じるのでしょうか。それは、物語の随所に散りばめられた「もしも」の可能性に、心が締め付けられるからではないでしょうか。
- 高校生の頃、二人がそれぞれの道で郵便ポストを見つめている様子から、まだお互いを思い合っていたのではないか?
- 明里が大人になっても花びらを受け止め、子供の頃の気持ちを忘れていなかった様子から、もし二人が再会していたら?
些細な偶然がなければ、二人はこんな結末にはならなかったかもしれない。そう思わせる描写が、この作品の悲しさをより一層深くしているのです。
『秒速5センチメートル』は、一見悲しい物語ですが、過去の美しい思い出を胸に、現実を生きる私たちにそっと寄り添ってくれる作品です。
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