今回の対談は、メディア界の重鎮である賢社長と、YouTube番組「ReHacQ(リハック)」を率いるメディアクリエイター・高橋弘樹氏の激突。まさにメディアの最前線で活躍する二人の本音がぶつかり合う、見どころ満載のコンテンツでした。現代社会における情報発信のあり方、表現の自由、そして人間関係の構築に至るまで、深く考えさせられる貴重な議論が展開されています。高橋氏の「えぐさ」の裏に隠されたプロフェッショナリズムと、賢社長の鋭い洞察から、ビジネスや人生を切り拓くヒントがきっと見つかるでしょう。
見どころ
- 高橋氏の「えぐさ」の真意と賢社長の鋭いツッコミ:★★★★★
- メディア論と表現の自由、そして人間関係のリアル:★★★★☆
- サイバーエージェント社員としての異色の働き方:★★★★☆
高橋氏の「えぐさ」論と賢社長のメディア哲学
対談は、高橋氏が自身の不祥事について賢社長に謝罪するところから始まります。しかし、賢社長は「お前らの問題であって会社別に傷ついてないと思うよ。ま、どうでもいいよ」と一蹴。この序盤のやり取りからも、賢社長の率直さと、高橋氏の人間性が垣間見えますね。その後、話は高橋氏が手掛ける「ReHacQ」の番組作り、特にその「えぐい」と言われる手法に及びます。
「数字にコミットするのが一番誠実」論の深層
高橋氏は、番組作りにおいて「結果一番はお金とか数字にコミットするのが一番誠実」という哲学を持っていると語ります。これはテレビでいう「視聴率」であり、YouTubeでいう「再生回数」のことでしょう。視聴者やユーザーが何を求めているのかを徹底的に追求し、それに応えることが、作り手としての誠実さであると主張しています。
しかし賢社長は、その手法が「人を裏切っている」と感じることがあると鋭く指摘します。特に人間関係が希薄な中で、相手を不愉快にさせるような質問を投げかける番組作りには嫌悪感を示しました。これに対し高橋氏は、自身の番組の「えぐい」部分は全体の2%程度であり、「事故が起きた回が目立っているだけ」と釈明。さらに、「ある種の政治がないと継続的には数字は取れない」と述べ、単なる炎上狙いではない、プロとしての戦略があることを示唆しています。
テレビとYouTubeの共通点:
賢社長も高橋氏も、究極的には「結果」としての数字(視聴率や再生回数)を重視する点で一致しています。どちらのメディアも、多くの人に見てもらい、影響を与えることを目指すという点では共通の目標を持っていると言えるでしょう。しかし、その達成手段や人間関係への配慮において、両者の間に見解の相違があるのが興味深い点です。
「この世にあらざるもの」を生み出すテレビマンの志
賢社長は、テレビマンの最も重要な使命として「この世にあらざるものを作らなければダメだ」と熱弁します。例えば、「宇宙人をインタビューしています」という内容であれば、誰もが興味を持ち、視聴率は70%にも達するだろうと例を挙げました。しかし、現実にはそれは不可能であるため、テレビマンはそれに匹敵するインパクトのあるものを自ら作り出さなければならないというのです。
高橋氏はこの賢社長の言葉に深く共感し、自身の文脈では「人がやりたくないこと、見せたくない姿」がそれに当たると説明しました。テレビ東京時代に手掛けた人気番組「家、ついて行ってイイですか?」では、酔っ払った人の片付いていない家の中や、普段話さない過去に切り込むことで、視聴者の「見たい」という欲求に見事に応えてきました。また、がん闘病中のミュージシャンのドキュメンタリー制作経験にも触れ、人間の本質に迫るコンテンツ作りへの情熱を語っています。
ドキュメンタリーの力:
高橋氏が「ReHacQもドキュメンタリーだと思っている」と語るように、彼の番組作りは、単なる議論や情報伝達に留まらず、出演者の素顔や本音を引き出すことに主眼が置かれています。人間が「見せたくない」部分にこそ、リアルな感情やドラマが隠されており、それを掘り起こすことで視聴者の心を掴むという、ドキュメンタリーならではの深いアプローチが垣間見えます。
炎上と人間関係のリアル
対談は高橋氏の過去のプライベートな炎上騒動にも触れ、現代メディアにおける人間関係と情報発信の難しさを浮き彫りにします。
公私にわたる炎上とメディアの役割
賢社長は高橋氏の不倫騒動について「お前の家庭とお前の女の問題であって」と辛辣な言葉を浴びせますが、高橋氏は「SNSはそんなんじゃ許してくんないぐらい鬼のように誹謗中傷が家族にもあちの女性にも来た」と当時の壮絶な状況を吐露しました。沈黙すればさらに事態が悪化するという判断から、あえて番組で詳細を語ることを決断したと説明。結果的に「逆効果でしたけど」と自虐的ながらも、その時の切迫した心境を明かしています。
このエピソードは、現代社会におけるSNS炎上の恐ろしさと、一個人の問題が瞬く間に社会全体に拡散されるメディアの力をまざまざと見せつけます。賢社長は「単なるお前に対する嫉妬だよね」と分析し、有名人が不祥事を起こした際に人々が抱く複雑な感情について言及しました。
SNS炎上の功罪:
SNSは個人の声を発信し、社会に影響を与える強力なツールである一方で、一度炎上すると匿名性の中で誹謗中傷がエスカレートし、取り返しのつかない事態を招くことがあります。高橋氏の経験は、メディアで活躍する人々が直面する、公私の境界線の曖昧さや、情報社会の厳しさを象徴していると言えるでしょう。
「騙し打ち」か「信頼構築」か?
賢社長は、高橋氏の番組作りが「騙し打ち」ではないかと疑念を呈しますが、高橋氏は「出演者が特にするようにしてないと無理」と反論します。出演者が「話してよかった」と思えるような関係性を築くことが、番組の継続性には不可欠だと考えているのです。例えば、裏金問題で世間から厳しい目を向けられていた萩生田光一氏が、唯一「ReHacQ」の出演に応じ、自身の見解を語ったエピソードも紹介されました。これは高橋氏が、相手の立場や心情を理解しようと努め、信頼関係を構築している証拠だと言えるでしょう。
賢社長は「人間と人間っていう付き合いをした上で俺は色々言ってんだよね」と自身の信条を語り、高橋氏のやり方との違いを鮮明にしました。しかし、高橋氏もまた、表面的な情報だけでなく、その人の「本音や瞬間の表情」を引き出すことに情熱を燃やす「テレビマン」としての側面を持っていることが明らかになります。互いのメディアへのアプローチは異なっても、人間の本質に迫ろうとする姿勢は共通しているのかもしれません。
メディアの未来と「表現」の救済
対談は、メディアのあり方からさらに深く、「表現」の自由と「共同体のルール」という哲学的な議論へと進んでいきます。
サイバーエージェントでの異色の働き方
高橋氏は現在、サイバーエージェントの正社員として働きながら、自身のYouTubeチャンネル「ReHacQ」を運営するという、非常にユニークな働き方をしています。賢社長もこのスタイルには驚きを隠せず、「社員で自分でメディア取ってる」「やばいスタイル」と評します。サイバーエージェントが、高橋氏のような異端とも言える人材を雇用し、その活動を支援していることに対し、賢社長は「サイバーエージェントの奥行き」を感じると称賛しました。
これは、従来の企業組織の枠を超え、個人の才能と発信力を最大限に活かす新しい時代の働き方を示唆しています。企業は単に社員を雇うだけでなく、彼らが持つクリエイティブな能力を尊重し、独立した活動を後押しすることで、新たな価値を創造できることを証明していると言えるでしょう。
社員制YouTuberという新しい働き方:
高橋氏のケースは、企業に所属しながら個人のメディア活動を行う「社員制YouTuber」の先駆けとも言えます。これにより、企業は個人の影響力を活用し、社員は安定した環境で自身の創造性を追求できるという、双方にとってメリットのある関係性が築かれます。これは、終身雇用制度が揺らぐ現代において、多くのビジネスパーソンにとって新しいキャリアパスのヒントとなるかもしれません。
「共同体のルール」と「表現」の相克
賢社長は、自身の人生観として「共同体のルールに従って生きているのが一番嫌悪感がある」と語ります。社会が定める規範や常識に縛られることへの反発です。しかし、同時に「人を殺したら死刑になりますよ」といった共同体の維持に必要なルールがあることも認識しています。この矛盾の中で、賢社長は「想像力でやる限りは表現になりますよ」という深い洞察を示しました。
モーツァルトが曲を書かなければ息もできなかったように、ゴッホが絵を描かなければ生きていけなかったように、表現は個体の救済にかかっていると賢社長は力説します。薬で治せない心の痛みや衝動は、表現という形で昇華することでしか救われないことがある、という哲学です。政治家が共同体のルールを守る存在であるのに対し、高橋氏のようなメディアクリエイターは、そのルールを揺さぶるような「人間としての面白さ」を追求することで、人々の興味を惹きつける存在だと言えるでしょう。
表現の自由がもたらす社会への影響:
表現の自由は、時に社会のタブーに切り込み、既存の価値観を揺るがす力を持っています。賢社長が語るように、それは個人の魂の救済であると同時に、社会全体に新しい視点や議論を提示する重要な役割を担います。高橋氏の「えぐい」番組作りもまた、人々の「見たくない」本音や裏側に光を当てることで、社会に一石を投じているのかもしれません。
木原事件と朝倉未来事件から見る人間の本質
対談の終盤では、賢社長が過去に経験した「怒り」のエピソードが語られます。特に印象的だったのは、木原誠二氏の件と、格闘家・朝倉未来氏との会食のエピソードです。
木原氏については、賢社長がYouTubeで発言した内容に対し、本人が直接ではなく、別の人物を通じて謝罪を申し入れてきたことに「直接電話して謝りに来いよ」と激怒しました。また、朝倉未来氏との会食では、初対面での挨拶がおざなりだったことに「ちゃんと挨拶できねえのか」と憤慨したことを明かします。
これらのエピソードから賢社長が「頭に来る」ポイントの共通性が浮かび上がってきます。それは、人間としての基本的な礼儀や、直接的なコミュニケーションを欠くことへの強い不快感です。賢社長は、メディアを通じてどんなに大きな影響力を持つ人物であろうとも、一対一の人間関係においては誠実であるべきだと考えているのです。高橋氏も「リハックはリアリティショー」と語るように、生の人間ドラマが生まれる現場でのやり取りこそが、YouTubeの面白さの真髄であると指摘します。
賢社長の「嫉妬」?高橋氏への複雑な感情
対談の締めくくりに、賢社長は高橋氏に対し、驚くべき本音を明かします。「俺がYouTubeに対して危険だと思っていて、自分をうんと抑えている。そのやりたいことをこいつがやってんだよ。」と。つまり、賢社長はYouTubeというメディアの可能性を感じながらも、自身のスタイルと衝突する部分を危険視し、あえて一線を引いていた。しかし、高橋氏はその「危険な領域」に果敢に踏み込み、成功を収めている。これに対し、賢社長は「嫉妬」を感じていると告白したのです。
この告白に対し、高橋氏は「自分にないものを指摘できないんだよ、人は」「自分があざくなければあなたはあざいですねって絶対言えないんですよ」と応じ、賢社長の中にも同様の「えぐさ」を求める感情があることを示唆しました。メディア界の重鎮と異端児が、互いの哲学と人間性をぶつけ合ったこの対談は、最終的に「同族嫌悪」とも言える、人間心理の奥深さを垣間見せる形で幕を閉じました。
今回の対談は、メディアのあり方、表現の自由、人間関係の構築、そして自己認識に至るまで、多角的な視点から深く考察する機会を与えてくれます。賢社長と高橋氏、それぞれの言葉の端々から、彼らがメディアと社会にどう向き合っているのか、その情熱と葛藤が伝わってくるのではないでしょうか。ぜひ動画を視聴し、あなた自身の目で彼らの「本音」に触れてみてください。


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