「悟り」と「狂気」が交錯する世界へようこそ!現代アートの新たな扉が開く
YouTubeの経済番組「ReHacQ」にビジネス系YouTuberのスーツさんが登場し、その「悟った」とされる言動が大きな話題を呼びました。彼が見せた常識を逸脱した行動は、多くの視聴者に衝撃を与え、賛否両論を巻き起こしました。しかし、この一連の出来事を「芸術の入り口」と見抜いた人物がいます。世界的に著名な現代美術家、村上隆氏です。彼はスーツさんの行動に、現代社会の抱える根源的な問題と、それを超越しうる芸術の可能性を見出しました。
本記事では、スーツさんの「悟り」の真意、そして村上隆氏が提示する芸術の新たな定義を深掘りします。なぜ現代人が「悟り」や「スピリチュアル」へと傾倒するのか?資本主義社会の「上がり」の果てに見えるものとは?ユーモアと共感を交えながら、私たちの常識を揺さぶるこの議論を紐解いていきましょう。
この議論の見どころ:
- スーツ氏の「悟り」:従来のビジネス系YouTuber像を打ち破る行動の背景にある心理と哲学。★★★★★
- 村上隆氏の芸術論:現代社会の「隅っこ」にある現象から普遍性を見出す、独自の芸術的視点。★★★★★
- 現代人の「虚無」と「救済」:資本主義の行き詰まりと、スピリチュアルやアートが提供する新たな価値観。★★★★☆
ビジネスとアートが交差する「悟りの世界」へようこそ!
スーツ氏の「悟り」とは何か?常識の枠を超える表現の力
スーツさんの「悟り」は、ある日突然、インフルエンザで高熱に震えながら観た映画「スタンドバイミー」がきっかけだったと語られます。少年たちが線路を勝手に歩き、銃で打ち合い、死体を探しに行くというストーリーに「世の中にはいろんな価値観がある」と衝撃を受け、今まで信じてきたことが「宗教の類い」だったと気づいたと言います。法律を破ることはしないものの、人前でズボンを脱ぐといった規範からの逸脱を試み、その経験を通じて「気づき」を自分にインストールしようとしたのです。
彼の行動は一見すると「狂人」のようにも映りますが、本人は「究極に普通になった結果」と語ります。論理的な思考を持ちながらも、あえて常識を揺さぶるような行動を取ることで、人々に新たな視点を提供しようとしているのではないでしょうか。彼が言うように、「めちゃくちゃなことをやりながら論理的なことを言ったら『え?』となる」のです。
豆知識:映画「スタンドバイミー」の衝撃
青春映画の傑作として知られる「スタンドバイミー」ですが、主人公たちが物語の中で行う行為の多くは、実は未成年による犯罪行為に該当します。このギャップが、スーツ氏に「常識や規範の多面性」を強く印象づけたのかもしれません。
村上隆がスーツ氏の行動に見た「芸術の入り口」
このスーツさんの「覚醒」に対し、村上隆氏は「芸術の世界へようこそ」「やっと芸術の世界に来たね」と、まるで待っていたかのように歓迎します。彼はスーツさんの行動に、現代社会が直面する問題を映し出す、まさに「アート」の本質を見出したのです。村上氏によれば、日本の芸術界は「左翼的」な傾向が強く、お金とリンクすることを嫌う風潮があります。しかし、彼はそのタブーを破り、芸術と商業を結びつけてきました。スーツさんの行動は、そのような既存の枠組みを超えようとする村上氏の芸術論と共鳴するものだったのです。
村上氏は、スーツさんの「自我の崩壊」を公衆の面前でドキュメンタリーとして見せる「職能意識」を高く評価します。クリエイティブな人間は、ある日突然「ポイン」と精神世界に足を踏み入れることがあるとし、スーツさんのその姿を「心の旅人」のスタートラインと捉えています。それは、ダダイズムの流れを汲み、芸術がもはや何者でもないという「無意味性」を表現すること自体が芸術である、という村上氏の哲学にも通じます。
ゴールB現象と現代人の「救済」への渇望
自己啓発の果てに見える「スピリチュアル」
村上氏が「ゴールB現象は世界で一番先端を走っている」と評するコーチング会社「ゴールB」の動向も、この議論の重要な側面です。自己啓発を煮詰めた「若いマッチョの集団」が、朝5時起き、冷たいシャワー、筋トレといった禁欲的なルーティンで自己を律し、成功を目指すという姿は、現代人の「救済」への渇望を映し出しています。
豆知識:ゴールB現象とは?
「ゴールB」は、かつて「夫ブログ」氏が創設したコーチング会社です。その後「ミズカラ」と名前を変えましたが、創業者の秋夫ブログ氏はスピリチュアルに傾倒し、中心人物だったレツナ紛氏はクリエイティブの道へ、残った村岡氏らはビジネス路線へと分裂しました。村上氏は、この分裂の仕方を「人間が青春から大人になる時の分裂の仕方に普遍性がある」と分析し、現代社会の様々な分野で起きている「スピリチュアル化」の潮流を象徴するものとして注目しています。
数字やお金に執着していたビジネス系インフルエンサーやYouTuberが、ある日突然「精神世界」へと向かう現象は、ゴールBに限らず、多く見られるとみ氏も指摘します。「宗教だと重すぎる、だから宗教未満の何かを探している」。
それは、SBNR(Spiritual But Not Religious:宗教ではないがスピリチュアルである)と呼ばれる現代の精神的潮流とも重なります。お金を稼ぐというゲームの「上がり」に達してしまった人々が、その先の「意味」を求めてスピリチュアルへと向かう姿は、現代資本主義社会の構造的な矛盾を浮き彫りにしています。
日本の芸術と「お金」のタブー
村上氏は、日本の芸術界には「お金とリンクしてはいけない」という「左翼的」な規範が存在すると語ります。自身がこのタブーを破り、芸術と商業の窓を開けたことで批判にさらされてきた経験があると言います。しかし、現代において芸術とブランドは近接しており、アートは「マインドフルネスの入り口」としての役割を担い始めています。
「芸術は必要ないということを芸術で表現する」。村上氏の作品がときに「下品」と評されながらも高値で取引されるのは、国や文化による批判の違い、そして見る者に衝撃を与え、常識を揺さぶる力があるからではないでしょうか。彼の作品を購入したウクライナのコレクターのエピソードは、芸術が単なる美の追求ではなく、時代や社会の状況をも反映する「投資」や「メッセージ」としての価値を持つことを示唆しています。
虚無主義を超え、新たな「意味」を創造する旅
哲学と「気づき」の再定義
スーツさんの「悟り」や「気づき」は、既存の哲学的な枠組みでは捉えきれない、新たな現象として語られます。高橋氏は「通常の哲学書を読めば分かることをただ繰り返すだけでは価値がない」と指摘し、スーツさんの実践的な行動が「哲学の進歩」に貢献する可能性を示唆します。
「気づく」とは何か?それは、目に見えるものや科学で証明できるものだけでなく、友情や雰囲気といった「科学と科学でないものの境界が曖昧になること」だとスーツさんは語ります。しかし、その先に待つのは「虚無主義」ではないか、という問いに対し、スーツさんは「健康なんか意味ないじゃん」と酒を飲み始める行動で応えます。虚無を受け入れたからこそ、これまで制限していた行動を許せるようになった、とも言えるでしょう。
豆知識:日本の文学と虚無主義
太宰治に代表される日本の文学者たちの中には、虚無主義に傾倒し、自らの命を絶った者も少なくありません。村上氏はこれを「死んだ後が勝負」と捉え、自身の作品を伝説化し、歴史に名を残すための「ブーム」だったと分析します。現代のスーツ氏が「社会人としての私は死亡しました」と宣言し、新たな自分として生まれ変わろうとする行為も、形を変えた「死」と「再生」の物語なのかもしれません。
「ピーン」とくる瞬間、言葉を超えたコミュニケーション
議論の中で何度も登場する「ピーン」という表現は、言葉では説明しきれない直感や共鳴の瞬間を指しています。大谷翔平選手のホームランやメッシ選手のシュートを「奇跡」「神」と表現する現象は、それが単なる偶然や技術の産物ではなく、見る者の心に「ピーン」とくる、言葉を超えた感動を与えるからです。
村上氏と三輪氏、そしてスーツ氏の会話は、しばしば論理的な筋道を逸脱し、まるで「超音波」のような非言語的なコミュニケーションで結びついているかのように進行します。それは、言葉がときに「余計に伝わりにくくする」障壁となる一方で、映像や身体表現といった非言語的な手段が「ビン」という感覚を直接的に伝えうる可能性を示唆しています。
現代社会の構造的矛盾とアートの役割
資本主義ゲームの「上がり」と人生の「続く」葛藤
ビジネスの世界で成功し、多くのお金を稼いだ人々が「難易度を上げたい」と、スピリチュアルな世界や新たな「救済」を求めるのは、資本主義社会の構造的な問題を示唆しています。お金を稼ぐという「ゲーム」の「上がり」が比較的容易になり、「稼いだら終わり」というロールモデルが不足しているため、その先の「意味」を見出せない人々が増えているのです。
スーツさんは、S&P500への投資で資産を増やし、「どうやっても金は余るはず」と語ります。稼ぎ続けることの無意味さに気づき、人生に「絶望」した結果、逆に「何でもやっていい」という境地に達したと言います。この「虚無」の認識こそが、彼を新たな表現へと駆り立てる原動力となっているのかもしれません。
豆知識:アーティストへのベーシックインカムの影響
オランダやスコットランドの一部地域では、アーティストに対しベーシックインカム(最低限の生活費)を支給する制度が導入されています。村上氏はこれに対し、「クソでしょ。一瞬にして芸術が死滅する」と述べ、芸術は抑圧や苦難の中から生まれるものであり、安易な支援が創造性を奪う可能性を指摘しています。
抑圧された環境から生まれる芸術
村上氏は、芸術は「異常に偏って抑圧されてないと生まれない」と持論を展開します。自由で豊かな環境よりも、不自由や苦難があるからこそ、人は新たな表現を模索し、創造的なエネルギーを生み出すというのです。日本の戦後、アメリカによる占領政策の中で価値観が強制的に変更され、芸術が「思想の武器」として敬遠された時期があったこともその一例として挙げられます。
しかし、その抑圧された環境の中で、日本独自の文化や芸術が育まれ、現在の「鬼滅の刃」や「進撃の巨人」といった世界的に評価されるアニメ作品が生まれる土壌となったと村上氏は見ています。現代日本が「終わっている」と揶揄される一方で、その中にこそ世界一のクリエイティブな潜在力が秘められている、と示唆しているのかもしれません。
「狂人」か「超まとも」か?スーツ氏の挑戦の行方
限界の向こう側へ
高橋氏は、スーツさんに「限界に挑戦し続けてほしい」とエールを送ります。これに対しスーツさんは、「限界というものは世の中にない」「誰かが限界と言っているだけ」と応えます。彼にとって、人前での奇抜な行動も、家庭での「理想の夫」の演出も、すべては「限界への挑戦」であり、自己の内面と向き合うための実践的な試みなのかもしれません。彼は、常識的な枠組みや他者の評価に縛られることなく、自らの内なる「ピーン」という感覚に従って生きることを選んでいます。
この「狂っている自分を演出できる時点で狂っている」という村上氏の指摘は、スーツさんの行動が単なる演技ではなく、彼の存在そのものがアートであることを示唆しています。彼は、自己啓発やビジネスで成功を収めた経験を持つからこそ、「意味」の虚構性、そして「無意味」の中にこそ真の価値を見出すことができるのかもしれません。
分離した自己と「虚構」の認識
スーツさんの「悟り」の根底には、「自分は何をしてもいいし、何もやらなくていい」という境地があります。それは、「光と闇」の心を併せ持つ「カオスソルジャー」のように、多面的な自己を許容する姿勢に繋がっています。彼が自らの旅の経験や稼いだお金について語る一方で、「罪の意識」を抱いていたと明かすのは、まさにその表れでしょう。
箕輪氏もまた、自己啓発書を多数編集してきた結果、「無意味性」に気づいたと語ります。彼が作成した「人間エネルギーカード」は、お金を稼ぐことや自己啓発の「意味」を自虐的に問いかけるアート作品であり、人々に「不幸」をもたらすという触れ込みは、世の中の価値観を逆説的に表現しています。彼らは、資本主義社会や自己啓発といった「虚構」の上で踊りながらも、その虚構性を認識し、それを超えようと試みているのです。
豆知識:人間エネルギーカードの波紋
編集者の箕輪氏が自ら制作した「人間エネルギーカード」は、世の中の自己啓発ブームを揶揄する目的で作られました。持った人に不幸をもたらすという噂が広がり、高橋氏の友人である田原総一朗氏からも「カードを返却してあげてほしい」と依頼が来るほどの「効果」を発揮しました。三輪氏はこれを「自虐商品」と称し、現代社会における「意味」や「価値」の虚構性を浮き彫りにしています。
現代社会に問う「悟り」と「芸術」の真価
スーツさんの「悟り」と、それに対する村上隆氏の「芸術」としての評価は、私たち現代人が直面する根源的な問いを投げかけています。
- 資本主義社会の「上がり」に達した後、私たちは何を目指すべきなのか?
- 「意味」や「価値」の虚構性を認識したとき、どのように生きるべきなのか?
- 「狂気」と「まとも」の境界線はどこにあるのか?
- 芸術は、私たちに何をもたらすことができるのか?
この議論は、明確な結論を提示するものではありません。しかし、その答えのない問いこそが、現代社会に生きる私たちにとって最も重要な「入り口」なのかもしれません。スーツさん、三輪氏、村上隆氏の言葉と行動は、私たち自身の「ピーン」とくる瞬間を刺激し、それぞれが自身の「光と闇」と向き合い、新たな生き方や価値観を見出すきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。
彼らの「常識外れ」とも見える挑戦は、現代社会を生きるすべての人々に向けた、最高の「現代アート」なのかもしれません。



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