【全解剖】『秒速5センチメートル』明里目線で見る、あの名作の意外な真実とは?

【全解剖】『秒速5センチメートル』明里目線で見る、あの名作の意外な真実とは? 漫画アニメ考察

主人公・貴樹の視点から描かれる物語の裏側には、もう一人の主人公、篠原明里の知られざる物語が隠されていました。今回は、明里の視点から作品を読み解き、その核心に迫っていきたいと思います。

この解説動画は、映画版をベースに、新海誠監督自身が執筆した小説版を補足として使用します。思いっきりネタバレを含みますので、まだ作品をご覧になっていない方は、ぜひ鑑賞してから戻ってきてください。

見どころ

  • 見どころ1:秘められた明里の心情の吐露:★★★★★
  • 見どころ2:貴樹と明里の「成長」の対比:★★★★★
  • 見どころ3:誰もが共感できる「別れ」の葛藤:★★★★★

第1話「桜花抄」:明里の「脱・貴樹依存」物語

小学生の明里は、転校生という境遇と体が弱いという共通点から、同じく転校生の貴樹と親しくなります。狭いコミュニティの中で、いつも一緒にいる二人は自然と恋人のような関係になっていきました。当時の明里は、いじめられそうになったりすると貴樹が守ってくれる、そんな関係に安心感を抱き、ある意味、貴樹に依存していたと言えるかもしれません。

「ねえ、まるで雪みたいじゃない」。これは、小学生の二人が交わした、両思いの気持ちを表す大切な言葉でした。しかし、中学進学を機に明里が栃木へ転校することになり、二人の関係に変化が訪れます。

明里は中学受験を頑張って合格したにもかかわらず、親の都合で転校することになり、夜に一人で電話ボックスから貴樹に電話をかけます。しかし、貴樹は「もういい」と突き放し、明里の心を深く傷つけてしまいました。

この瞬間から、明里の「脱・貴樹」が始まったと私は考えます。

貴樹に守られなくても生きていけるように、強くならなければならない。

そう決心した明里は、中学で活発なバスケ部に入部し、朝練にも励むようになります。体が弱く、ずっと図書館にいた小学生の明里から、自立した中学生の明里へと見事に成長を遂げたのです。

すれ違う二人の気持ち、そして交わされた「あの言葉」

明里の成長と同時に、貴樹の心には明里への思いが募っていきました。電車で明里に会いに行く道中、貴樹は「会いたい、会いたい」と強く願います。一方、明里は駅で貴樹を待つ間、別れを告げるための手紙を書いていました。

しかし、大雪で貴樹が遅れ、直接伝えるはずだった別れの言葉を手紙に書くことになります。そして、再会した桜の木の下で、二人は小学生の頃と同じように「まるで雪みたいじゃない」という言葉を交わします。この時、すでに気持ちに整理をつけられていた明里と、まだ未練があった貴樹の差が浮き彫りになります。

そして、二人はキスをします。思春期を迎え、好きという気持ちを形にする方法を知った二人は、このキスによって過去の二人に戻ろうとしました。しかし、別れを告げる決心をした明里にとって、このキスは過去を振り返る一瞬の出来事だったのです。

明里は別れの言葉を言えず、書いた手紙も渡しませんでした。代わりに伝えたのは、「貴樹くんはきっとこの先も大丈夫だと思う」という言葉です。

豆知識:
この「大丈夫」という言葉こそ、貴樹を苦しめる原因になります。明里に「大丈夫だ」と励まされてしまったことで、貴樹は明里への思いを断ち切ることができず、呪いのようにその思いを抱え続けてしまうのです。詳しくは、前回の貴樹目線の解説動画をご覧ください。

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なぜ『秒速5センチメートル』は人に薦めにくいのか?

『秒速5センチメートル』は、多くのファンに愛されている一方で、人に薦めるのが難しい作品だと言われています。その最大の理由は、「作品の構成が独特」だからです。

通常、物語には起承転結がありますが、この作品は第1話「桜花抄」で起承転結が完結しており、続く「コスモナウト」と「秒速5センチメートル」では、貴樹と明里の関係性が大きく変化することはありません。

インタビューによると、新海誠監督は元々全く違う物語をいくつか制作しており、それを映画化する際に三部作として繋げたそうです。そのため、三部作全体として一つの起承転結が考えられているわけではないのです。この珍しい構成が、見る人に戸惑いを与え、面白さを伝える際のハードルを上げているのかもしれません。

また、「明里の声優が変わる理由」もよく話題になりますが、監督自身は「声変わりを表現したかった」と語っています。このあたりからも、監督が「現実をリアルに描く」ことを追求していることが伺えます。

『秒速5センチメートル』が描く、残酷で美しい「現実」

では、結局のところ『秒速5センチメートル』とは、どういう作品なのでしょうか。私は、「残酷な現実をなるべく美しく描いた作品」だと考えます。

新海誠監督は、物語の中に安易なハッピーエンドを用意しませんでした。それは、現実では特別な事件や奇跡はそうそう起こらないからです。離れてしまった二人が再会し、結ばれるということは、現実ではあり得ないことだと監督は考えているのかもしれません。

だからこそ、物語は起承転結という綺麗な構成にならず、ただ人生が続いていく様を描いています。しかし、そんな過酷な現実の中にも、美しい風景や心揺さぶる音楽といった「美しさ」を添えているのが、新海監督の優しさではないでしょうか。

『秒速5センチメートル』は、一見すると悲しい物語に思えますが、これは誰しもが経験するであろう「人生」を描いた物語です。一途な恋が叶わなくても、過去の思い出を胸に、私たちは前に進んでいかなければなりません。

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