私たちが日々の生活で感じる「なんでこんな理不尽なことが?」という怒りや、「どうしてあの人はこんな行動をするんだろう?」という疑問。実は、その答えは数百万年前の私たちの祖先の生存戦略に隠されているのかもしれません。今回の記事では、南山大学経済学部準教授である行動経済学者、小林鹿子先生が、行動経済学と進化心理学という二つの視点から、人間の「非合理的」な行動の真の理由を解説します。
この対談から得られるメリット:
- 人間関係や社会現象の裏にある本質的なメカニズムを理解できます。
- SNSでの誹謗中傷やゴシップといった現代社会の問題を、より冷静に俯瞰する視点が手に入ります。
- 自分自身の感情や行動について「なるほど!」と納得し、より賢明な判断を下すヒントを得られます。
見どころ:
- 1000円が1100円に化ける?オールペイオークションの罠:★★★★★
普通のオークションとは一線を画す、人間心理を巧みに突いた実験。なぜ人々は「損」と知りながらも、さらなる金額を提示してしまうのか?その衝撃的なメカニズムは必見です。 - 「損して得取れ」は通用しない?最後通牒ゲームの真実:★★★★★
伝統的な経済学の予測を裏切り、世界中で繰り返される実験結果が示す人間の本性。なぜ人は、たとえ自分が損をしても「不公平」を許さないのか?私たちの社会性がいかに深く根付いているかがわかります。 - メソポタミア時代から変わらない?ゴシップの衝撃的な役割:★★★★☆
世界最古のゴシップが不倫ネタだったという驚きの事実から、現代のSNS炎上まで。一見ネガティブなゴシップが、実は集団の維持に不可欠な役割を果たすという、目から鱗の解説です。
「常識」を覆す!行動経済学と進化心理学の世界へようこそ
私たちは普段、人は「合理的」に、つまり自分の損得を考えて行動すると考えがちです。伝統的な経済学も、この合理性を前提にさまざまな理論や制度を構築してきました。しかし、現実の人間社会は、必ずしもこの「合理的」な予測通りにはいきません。なぜ私たちは、時に明らかに損をするような選択をしてしまうのでしょうか?
合理的な「損得勘定」だけでは測れない人間の行動
伝統的な経済学が「人は合理的に動く」という前提に立つならば、例えば「悪いことをすれば損をする(刑務所に入る、損害賠償を払うなど)」というルールを設ければ、みんな良いことをして世の中はうまくいくはずだ、と考えます。これは法経済学にも応用され、法律によって社会をより良くしようと試みます。しかし、人間の行動はそれほど単純ではありません。感情や心理、そして社会的な状況が複雑に絡み合い、必ずしも損得勘定だけでは割り切れない「非合理」な行動が頻繁に現れるのです。この伝統的な経済学と現実とのギャップを埋めるべく、心理学の知見を取り入れて生まれたのが、行動経済学です。行動経済学は、人間の心理バイアスや感情が意思決定にどう影響するかを探求します。例えば、「わかっちゃいるけどやめられない」という行動は、まさにその典型と言えるでしょう。
人の心と行動を進化の視点から紐解く
一方、進化心理学は、さらに深く、人間の心や行動が数百万年にもわたる進化の過程で、どのように形作られてきたのかを探る学問です。生物の体が環境に適応しながら進化してきたように、私たちの心や行動のパターンもまた、かつての狩猟採集時代のような環境で生き残るために最適化されてきた、と考えるのです。なぜ人は不公平を許さないのか、なぜ自分自身が損をしてまで他者を罰しようとするのか。一見、現在の社会では不利益に見えるこれらの行動も、進化の歴史をひも解くと、驚くほど納得のいく説明が見つかることがあります。小林先生は、まさにこの進化心理学の視点が、人間の「なぜ?」を最も深く、しっくりと説明してくれると感じているといいます。
豆知識:
行動経済学の発展に大きく貢献したダニエル・カーネマンは、心理学者として初めてノーベル経済学賞を受賞しました。これは、心理学と経済学が融合することで、より現実的な人間理解が進んだ象徴的な出来事です。
驚きの心理実験!私たちはなぜ「非合理」な選択をするのか?
人間の行動の謎を解き明かす上で、小林先生が用いるのが「実験」です。実際に参加者に何らかの行動をしてもらい、その結果を観察することで、私たちの心に潜む「非合理性」が浮かび上がってきます。
1000円が1100円に化ける?オールペイオークションの罠
小林先生が学生に対して行う実験の一つに、オールペイオークションというものがあります。これは、本物の1000円札をオークションにかけるのですが、ルールが非常に特殊です。通常のオークションは、一番高い金額を提示した人だけがその金額を払って商品を手に入れますよね。しかし、オールペイオークションでは、入札した金額は全員が払わなければならないのです。たとえ品物が手に入らなくても、入札した金額は支払う義務があります。
このルールでオークションを行うと、最初は100円、200円と穏やかに手が上がります。しかし、500円、600円と値段が上がっていくうちに、学生たちの顔に焦りの色が浮かび始めます。そして、900円、1000円と競り上がった後、驚くべきことに1000円を超える値段が簡単についてしまうのです。なぜでしょうか?
例えば、Aさんが1000円、Bさんが900円で入札していたとします。もしこのままAさんが落札すれば、Aさんは1000円払って1000円札を手に入れるので収支は0円。Bさんは900円払うだけで何も手に入らないので900円の損です。この時、Bさんは考えます。「このままだと900円損する。それなら、あと100円足して1100円で入札すれば、1000円札が手に入り、損は100円で済むではないか!」と。この心理が連鎖し、結果的に1000円の価値しかないものに1100円、1200円と値段が吊り上がってしまうのです。経済学者の間では「学生から小銭を巻き上げる方法」とも言われるほど、ほぼ失敗しない実験だといいます。
「損して得取れ」は通用しない?最後通牒ゲームの真実
もう一つ、人間行動の根源を浮き彫りにするのが最後通牒ゲームです。これは、「提案者」と「受諾者」の2人がお金を分け合うゲームです。提案者が分け方を提示し、受諾者がその提案を受け入れれば、その通りにお金を分けます。しかし、もし受諾者が提案を拒否すれば、2人とも1円ももらえない、というルールです。
例えば、提案者が「私が900円もらって、あなたには100円あげましょう」と提示したとします。伝統的な経済学の「合理的」な人間であれば、1円でももらえるなら、もともと0円だったのだから100円でも受け取る方が得だと考えるはずです。しかし、現実の実験では、多くの受諾者がこの不公平な提案を「ノー」と拒否し、自分も相手も0円になることを選ぶのです。300円や400円といった金額でも拒否されることがあり、一般的には500円対500円のように公平な分け方でなければ、拒否される可能性が高まります。
なぜ人間は、自分が損をしてまで不公平を許さないのでしょうか?この謎を解く鍵が、「人間は社会的生物である」という点にあると小林先生は語ります。
豆知識:
最後通牒ゲームは世界中で行われ、文化や文脈によって結果に多少の差は出るものの、経済学が予測する「とにかく1円でも多くもらおうとする行動」はほとんど観察されません。この一貫した結果は、経済学の理論に大きな問いを投げかけました。
進化が刻んだ人間の本能:不公平への怒りと他者への罰
最後通牒ゲームやオールペイオークションが示す人間の「非合理」な行動。これらは一体どこから来るのでしょうか。その答えは、私たち人類が長きにわたって群れで生きてきた歴史に隠されています。
群れで生きる宿命:不公平を許さない理由
人間は、何万年も前から群れで生活する社会的生物です。群れから外れることは、すなわち生存の危機に直結しました。そのため、私たちは「群れの中でどう振る舞うべきか」「周囲からどう見られるか」という点に非常に敏感にできています。最後通牒ゲームで不公平な提案を拒否する行動も、この視点から見ると納得できます。
もし、自分に提示されたわずかな金額を「損をしないから」という理由だけで受け入れてしまったら、どうなるでしょうか?集団の中で「この程度で満足する人間」「下に見てもいい人間」と認識されてしまう可能性があります。それは、その後もずっと不当な扱いを受け続けることにつながりかねません。だからこそ、たとえ一時的に自分が損をしても、「不公平な扱いは受け入れない」という意思表示をすることが、長期的な視点で見れば、集団内での自分の地位や扱いを守る上で有利に働いたと考えられます。怒りや不満を表明し、「ノー」と跳ねつけることで、相手に「この人間を下に見るな」というメッセージを伝え、その後の関係性をより公平なものにする可能性を高めているのです。
「怒り」は最強のコミットメントツールだった
不公平を許さない感情と深く結びついているのが、「怒り」です。動物にも共通するこの基本的な感情は、かつて私たちの祖先が縄張りを守る上で極めて重要な役割を果たしてきました。自分より強い敵が現れたとき、ただ逃げてしまえば縄張りを失い、生きる術を失うかもしれません。しかし、全力で向かっていけば、たとえ負ける可能性が高くても、相手は「こいつと戦えば自分もただでは済まない」と考え、撤退する可能性があります。
この「たとえ自分が損をしても、相手に大ダメージを与えるぞ」という強力な意思表示(コミットメント)の手段が、怒りなのです。怒りを感じると、人はコントロールが効かなくなり、相手に向かっていこうとします。脳の反応を見ても、怒りはネガティブ感情でありながら、「接近動機」として相手に近づく方向に作用します。このように、自分を突き動かし、相手に「本気だ」と伝えるための感情として、怒りは進化の中で洗練されてきたと考えられます。だからこそ、私たちは一度きりのゲームだと分かっていても、不公平な扱いに怒りを感じ、それを跳ねつけようとしてしまうのです。
豆知識:怒りは「接近動機」のネガティブ感情?
一般的に、ポジティブな感情は「接近動機」(近づく)に、ネガティブな感情は「回避動機」(離れる)に繋がると言われています。しかし、怒りはネガティブ感情であるにもかかわらず、相手に向かっていく「接近動機」を引き起こす、非常に特殊な感情です。これは、怒りが「自分の身を守るため」や「権利を主張するため」に必要不可欠な機能だったことを示唆しています。
現代社会の「謎」を解く!SNS炎上とゴシップの進化論
進化の中で培われたこれらの人間の本能は、現代社会においてどのような現象を引き起こしているのでしょうか。特に、SNSの普及によって顕在化した問題と、人類が古くから持ち続けてきたゴシップの本質を、進化の視点から見ていきましょう。
なぜ人は見知らぬ他者を叩くのか?SNS炎上の深層
SNSが日常となった現代社会では、連日のように「炎上」が起こり、多くの人が見知らぬ他者を、時に激しい言葉で攻撃しています。自分とは全く利害関係がないにもかかわらず、なぜ人は他者を「悪いやつだ」と決めつけ、自分が損をしてでも叩き始めるのでしょうか?小林先生は、このSNS炎上のメカニズムこそが、進化心理学においても「今でも説明ができておらず、大きな謎になっている」と語ります。
確かに、社会の秩序を守るために「ズルをするやつを罰する」という行動は、集団全体にとってはプラスに作用したかもしれません。しかし、攻撃する個人にとっては、時間やエネルギーといったコストを払い、仕返しされるリスクすら負うのに、何の得もないように見えます。実験では、悪い人を罰する行動が必ずしも評判の向上に繋がらないことも示されています。
もちろん、集団内の「ルール違反者」を特定し、排除する機能としての側面はあったでしょう。かつての小さな集団では、誰が「悪いやつ」かを特定し、みんなで仲間外れにすることは、集団を守るための有効な手段でした。SNSでは匿名性が加わり、個人がリスクを負わずに集団として攻撃できるようになったことで、この本能的な行動が暴走している可能性も考えられます。
この「自分と似たような立ち位置だが、少し自分より良いものを持っている人」を叩きたくなる心理、いわゆる「シャーデンフロイデ(Schadenfreude)」にもつながります。
人の不幸は蜜の味?シャーデンフロイデの脳科学
シャーデンフロイデとは、他人の不幸や失敗を見て快感を覚える感情を指すドイツ語です。この感情は、私たち人間の脳にも深く刻まれていることが研究で明らかになっています。例えば、自分が羨ましいと思う人が失敗すると、脳の「報酬系」と呼ばれる、喜びや快感を感じる部位が反応することが確認されています。これは、「ざまあみろ」と感じていると解釈できる結果です。
このメカニズムを知ることで、「自分は今、シャーデンフロイデを感じているんだな」と客観視し、冷静になれる人もいます。しかし、中には「進化的に組み込まれたものなのだから仕方がない」「むしろ適者生存のためにそう振る舞うべきだ」と、この感情を正当化し、さらに攻撃的な行動を助長してしまう人もいるという、興味深い実験結果も出ています。私たちは、進化の過程で獲得した感情が、現代社会において常に「正しい」行動に結びつくわけではない、ということを理解する必要があります。例えば、かつては食料が手に入りにくい時代に備えて、食べられる時に満腹感を感じずに食べ続ける本能が有利でしたが、現代ではそれが肥満という問題を引き起こしているのと同じです。進化のメカニズムを知ることと、それが現代社会で「正しい」と振る舞うべきかは、全く別の話なのです。
メソポタミア時代から変わらない?ゴシップの衝撃的な役割
他者の行動に対する興味、特にネガティブな情報への関心は、人類の歴史の中で非常に根強く存在しています。小林先生は、「世界最古のゴシップ」が、なんと紀元前2000年頃のメソポタミア文明の粘土板に刻まれた「政治家と既婚女性の不倫ネタ」だったという衝撃的な事実を紹介します。何千年も前から、人は自分とは直接関係のない他人のスキャンダルに強い関心を持っていたのです。
学術的なゴシップの定義は、悪口に限らず、「その場にいない第三者の話題全般」を指します。しかし、ゴシップに関する研究では、人間の会話の約7割がネガティブな話題であることが示されています。なぜ人は、他人のネガティブなゴシップに強く惹かれるのでしょうか?
これは、かつて小さな集団で暮らしていた時代に、「誰が信頼できるか」「誰が危険な人物か」といった情報を共有する重要な手段だったと考えられます。不倫や裏切りといった情報は、集団内の秩序や子孫を残す上で極めて重要な意味を持ちました。そうした情報を知ることで、潜在的な危険を回避し、自分の身を守ることができたのです。また、ゴシップには、特定の人物の悪口を言い合うことで、その話題を共有する人同士の間に「特別なつながり」や「一体感」を生み出す効果があることも示唆されています。ストレスホルモンが減少したり、仲間との繋がりを感じるホルモンであるオキシトシンが分泌されたりするという研究結果もあるといいます。このように、ゴシップは単なる悪口ではなく、集団内の規範を教えたり、問題人物を特定し排除したり、さらには仲間意識を強化したりと、多岐にわたる役割を担ってきたのです。
豆知識:オキシトシンと攻撃性の意外な関係
「愛情ホルモン」として知られるオキシトシンは、仲間との絆や信頼感を高めることで知られています。しかし、研究によっては、オキシトシンが「身内」への親切心を高める一方で、「外部の者」に対する攻撃性を高める可能性があることも示されています。これは、自分の大切なものを守るための「母性」のような感情と関連していると解釈されることもあり、人間の複雑な感情メカニズムを示唆しています。
知ることが最大の武器!私たちの行動を変えるヒント
ここまで見てきたように、私たちの感情や行動の多くは、数百万年の進化の歴史に根ざした、深遠なメカニズムによって動かされています。一見すると「非合理的」に見える行動も、進化の視点から紐解けば、納得のいく理由が見つかることが少なくありません。
「なぜ?」を知れば冷静になれる
「人の不幸は蜜の味」と感じてしまったり、SNSで他者を攻撃したくなったり、不公平な扱いに強い怒りを感じたり…こうした感情が湧き上がってきたときに、「ああ、これは進化の過程で獲得した、自分の本能がそうさせているんだな」と一歩引いて客観的に捉えることができれば、その感情に流されることなく、より冷静な判断を下せる可能性があります。
例えば、SNSで激しい攻撃を受けても、「ああ、この人は今、縄張りを守ろうとしている動物的な本能か、あるいはシャーデンフロイデを感じて、脳の報酬系が活性化しているのかもしれないな」と理解することで、個人的な感情として受け止めすぎず、心の平穏を保つことができるかもしれません。メカニズムを知ることは、私たちの感情をコントロールし、行動をより意識的に選択するための強力な武器となるのです。
進化のメカニズムと現代社会の乖離
しかし、進化の中で最適化されてきた行動が、常に現代社会でも最適であるとは限りません。かつての小さな狩猟採集社会では有利だった行動が、情報化され、グローバル化した現代社会では、かえって不利益をもたらすことがあります。肥満の例のように、食べ物があふれる現代で「満腹感を感じずに食べ続ける」本能は、健康問題を引き起こします。
同様に、集団の中で「悪いやつ」を特定し、仲間外れにする機能が、匿名性のあるSNSで暴走すれば、いわれのない誹謗中傷や冤罪を生み出すことにも繋がりかねません。共感性の高い人間が、特定の誰かを「悪いやつ」と認定した途端、その人への共感が消え失せ、苦しむ姿に喜びさえ感じる脳のメカニズムは、刑事司法の場においても大きな課題を突きつけます。私たちは、進化のメカニズムを理解した上で、それが現代社会でどのように機能し、どのような問題を引き起こしうるのかを深く考察し、より良い社会制度や個人の行動規範を構築していく必要があるのです。
小林先生の解説は、私たちが日々直面する人間関係や社会現象の「なぜ?」に、深く、そして納得のいく答えを与えてくれます。この知識が、読者の皆様の人生を豊かにする一助となれば幸いです。



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