この記事は、華やかな世界の裏で進行する深刻な環境問題に光を当てます。グローバル企業が地域社会に与える影響、そして真実を追求する人々の姿を通して、私たち一人ひとりが考えるべき企業の社会的責任について深く掘り下げています。遠い国の話だと見過ごすのではなく、この問題を知ることで、世界の見方が少し変わるかもしれません。
【この記事の見どころ】
- 衝撃の現地レポート:★★★★★
- 巨大企業の闇と政府の対応:★★★★☆
- 執念のジャーナリズムと告発の軌跡:★★★★★
紛争と石油に揺れる国、南スーダン
南スーダンと聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。長年にわたる紛争のイメージが強いかもしれません。その紛争の多くが、実は国の北部に広がる油田地帯を巡る利権争いと深く結びついています。
この国の経済は石油に大きく依存しており、国家歳入の約90%を石油が占めていると言われています。しかし、その「恵み」であるはずの石油が、地域住民にとっては深刻な「呪い」となっている可能性が浮上してきました。石油採掘の裏側で、飲み水が汚染され、先天性の疾患や奇形といった健康被害が多発しているというのです。今回は、この問題に長年取り組み続けるドイツのNGOと、その後の調査を追ったジャーナリストの視点から、南スーダンで起きている衝撃の事実を解き明かしていきます。
始まりは「水の味がおかしい」という住民の声
この問題に光を当てたのは、ドイツのNGO「Sign of Hope」で活動するクラウス・シュティーグリッツ氏です。彼は1997年から南スーダンを訪れていましたが、特に石油プロジェクトに関する調査を始めたのは2008年のことでした。
彼が現地で耳にしたのは、住民たちの切実な訴えでした。
- 「水の味が苦い、塩辛い」
- 「家畜が次々と死んでいく」
この声に突き動かされ、シュティーグリッツ氏は現地の水を採取し、分析することにしました。その結果は、彼の予想をはるかに超える衝撃的なものだったのです。
驚愕の調査結果:水に潜む「毒」の正体
水質サンプルの分析結果から、まず1リットルあたり最大6グラムという高濃度の塩分が検出されました。これは、飲料水としては異常な数値です。さらに深刻だったのは、鉛をはじめとする有害な重金属が大量に含まれていたことでした。
汚染された井戸水と、石油採掘の際に発生する「Produced Water(随伴水)」と呼ばれる廃水の化学的特徴が一致したことから、シュティーグリッツ氏らは汚染の原因が石油産業にあると確信します。
【豆知識】Produced Water(随伴水)とは?:石油や天然ガスを採掘する際、地層から一緒に汲み上げられる非常に塩分濃度の高い水のことです。この水には、原油成分、重金属、掘削時に使用される化学薬品など、様々な有害物質が凝縮されています。通常、この廃水は地中深くに再注入して処分するのが業界のベストプラクティスとされています。しかし、南スーダンでは、この有害な水が裏地のない地上ピットに投棄され、地下水脈に漏れ出しているのではないかと疑われています。
「石油生産が飲み水の汚染を引き起こしている」。この事実を突き止めた「Sign of Hope」は、原因を作った者たちの責任を追及するために動き出しました。
巨大石油企業ペトロナスとの対峙
南スーダンの石油コンソーシアムを主導していたのは、マレーシアの国営石油会社「ペトロナス」です。100カ国以上で事業を展開する世界的なエネルギー企業であり、特にF1のメルセデス・ベンツチームの主要スポンサーとしてその名を知られています。
F1スポンサーという意外な突破口
シュティーグリッツ氏は、この「F1スポンサー」という関係性に活路を見出しました。彼はペトロナスに直接働きかけるのではなく、そのビジネスパートナーであるメルセデス・ベンツに接触したのです。企業の評判を重んじるドイツ企業であるメルセデスなら、この問題の解決に影響力を行使してくれるかもしれない、と考えたのです。
この戦略は功を奏し、メルセデス・ベンツの仲介によって、ペトロナス、南スーダン政府、そして「Sign of Hope」が一堂に会する会議が2015年にシュトゥットガルトで開催されました。
会議で突きつけられた「脅迫」
しかし、事態の解決を期待したこの会議で、彼らを待っていたのは衝撃的な結末でした。南スーダンの石油鉱業省の代表者は、シュティーグリッツ氏らに対し、こう言い放ったのです。
「もし今後もペトロナス主導のコンソーシアムに対する告発を公表し続けるなら、我々はそれを南スーダン政府に対する敵対行為とみなす」
これは、事実上の脅迫でした。身の危険を感じた「Sign of Hope」は、この日を境に南スーダンから完全に撤退せざるを得なくなりました。真実を追求する声が、力によって封じ込められた瞬間でした。
10年の時を経て、ジャーナリストが再び現地へ
「Sign of Hope」が撤退してから約10年。ジャーナリストが再び現地を訪れ、汚染が今も続いているのかを調査しました。そこで目の当たりにしたのは、何も変わっていない、むしろ悪化しているかもしれない現実でした。
今も続く汚染のサイン
取材チームは、油田から数キロ離れた場所で家畜が水を飲む水たまりの水を採取。簡易検査では、水の電気伝導率を測定しました。これは水中に溶け込んでいる不純物、特に金属イオンの量を示す指標です。
【豆知識】電気伝導率と水質汚染:純粋な水はほとんど電気を通しませんが、塩分や金属などが溶け込むと電気が通りやすくなります。そのため、電気伝導率(単位:ミリジーメンス/cmなど)を測ることで、水の汚染度を手軽に知ることができます。非常にきれいな飲料水は1 mS/cmを下回りますが、取材チームが測定した水は2 mS/cmを超えており、何らかの物質が高濃度で溶け込んでいることを示唆していました。
さらに、地元住民は「雨季になると、石油採掘の廃水ピットから水が溢れ出し、まさにこのような水たまりに流れ込む」と証言します。
声なき住民たちの叫びと取材妨害
取材チームは、先天性の疾患を持つ子供を産んだ母親、サラさんにも話を聞きました。彼女は近くの池の水をろ過して飲んでいますが、その水が安全だという保証はどこにもありません。病院を訪れると、同じように原因不明の疾患に苦しむ子供たちの事例が数多く報告されていました。医師は「数十年前、石油会社が来る前はこんなことはなかった」と断言します。
しかし、この問題の核心に迫ろうとすると、見えない壁が立ちはだかります。取材チームが石油施設に近づいたことを知った中央政府から連絡が入り、「これ以上撮影するな」「首都ジュバに戻れ」という命令が下されました。最終的に、彼らは撮影許可を剥奪され、取材の中断を余儀なくされたのです。
動かぬ証拠と企業の「認識」
取材は妨害されましたが、チームは持ち帰った水のサンプルをケニアの専門機関で分析しました。その結果、水から掘削液と一致する特徴を持つ高レベルのナトリウムとカリウムが検出されました。これは、10年前に「Sign of Hope」が指摘した通り、石油採掘による汚染が今も続いていることを示す強力な証拠です。
さらに決定的なのは、新たに入手した内部文書でした。そこには、石油会社が先天性異常を持って生まれた子供のドイツでの治療費を支払っていたという事実が記録されていました。石油当局が書いた手紙には、こう記されていました。
「これらの物質が、妊娠初期3ヶ月の胎児の奇形に寄与する可能性は高い」
これは、彼らが内部では汚染と健康被害の関連性を認識していたことを示唆しています。公には責任を否定しながら、裏では問題の存在を把握していたのではないでしょうか。
問われるべきは誰の責任か
2024年、ペトロナスはパイプラインの損傷などを理由に南スーダンの資産を放棄し、撤退を決定しました。しかし、これで問題が終わるわけではありません。南スーダン政府は今、ペトロナスが環境基準を守らず、地域社会への補償も怠ったとして非難しています。
一方で、メルセデス・ベンツF1チームは、今もペトロナスを主要スポンサーとしています。彼らは長年にわたってこれらの疑惑を認識していながら、パートナーシップを続けているのです。
シュティーグリッツ氏は語ります。「メルセデスの影響力を使えば、状況は改善できたはずだ。しかし、結局、彼らの対話が油田地帯に住む人々の状況を大きく改善することにはつながらなかった」。
南スーダンで起きている悲劇は、単なる環境汚染問題ではありません。それは、グローバル企業の利益追求の陰で、最も弱い立場の人々が犠牲にされている現実を浮き彫りにしています。



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