今回の選挙で大きな躍進を遂げた国民民主党。彼らが掲げる「対決より解決」というスローガンは、多くの国民の心を掴みました。その道のりは決して平坦ではなく、まさに絶望的な状況からのスタートでした。しかし、彼らは信念を曲げず、政策本位の姿勢を貫き通した結果、ついに国民に見つけてもらうことができたのです。この記事では、悪夢とまで呼ばれた民主党政権の失敗から学び、幾度もの分裂と批判を乗り越えてきた国民民主党の、涙と笑いの軌跡を徹底解説します!
【この記事の見どころ5段階評価】
- 悪夢からの再出発度:★★★☆☆
- 「対決より解決」の誕生秘話:★★★★★
- 奇跡の選挙戦略とブレイク:★★★★★
悪夢の民主党政権と野党分裂の序章
国民民主党の物語を語る上で、避けては通れないのが「悪夢」とまで呼ばれた民主党政権の存在です。大きな期待を背負って政権交代を果たしたものの、わずか3年足らずでその座を明け渡し、自民党が政権に返り咲きました。国民の失望は深く、「民主党アレルギー」とも言える空気が日本中を覆います。党からは離党者が相次ぎ、党勢は衰退の一途をたどりました。
この状況を打開すべく、民主党は維新の党と合流し「民進党」へと名前を変えます。しかし、党名を変えただけでは国民の信頼は回復せず、代表が次々と交代する不安定な状況が続きました。
「名を捨てて実を取る」前原代表の賭けと失敗
2017年、新たに民進党の代表に就任した前原誠司氏は、安倍一強政治を止めるため、驚くべき戦略を打ち出します。それは、当時大きなブームを巻き起こしていた小池百合子都知事が率いる「希望の党」と合流し、選挙を戦うというものでした。民進党の看板を捨て、候補者全員が希望の党から出馬するという、まさに「名を捨てて実を取る」ための捨て身の作戦だったのです。
この奇策は当初、政権交代への一縷の望みとして党内でも了承され、自民党を大いに慌てさせました。しかし、事態は誰もが予想しない方向へと転がっていきます。
「排除いたします」が生んだ立憲民主党
希望の党の代表であった小池百合子氏は、自身の政治理念に合わない民進党内のリベラル系議員の受け入れを拒否。「排除いたします」という強い言葉で、候補者を選別する姿勢を鮮明にしました。
この「排除の論理」は世論の強い反発を招き、希望の党の勢いは急速に失速します。その一方で、排除された側の議員たちに国民の同情と支持が集まりました。民進党の枝野幸男氏が、排除された議員たちの受け皿として急遽「立憲民主党」を結成。結果、衆議院選挙では希望の党を上回る議席を獲得し、野党第一党に躍り出たのです。
前原氏の捨て身の作戦は、結果的に民進党を保守系とリベラル系に分裂させるという、最悪の結末を迎えてしまいました。
豆知識:この分裂劇は、後の政界に大きな影響を与えました。希望の党に合流した保守系の議員たちが後の国民民主党の母体となり、排除されたリベラル系の議員たちが立憲民主党を形成。同じ「民主党」の血を引く兄弟が、異なる道を歩み始めるきっかけとなったのです。
絶望からの船出「旧」国民民主党の誕生
小池氏に見放され、お荷物状態となった希望の党。その新たな党首に就任したのが、玉木雄一郎氏でした。その後、希望の党は民進党の参議院議員らと合流し、2018年に「国民民主党」が誕生します。しかし、その船出はまさに絶望的でした。
度重なる党名の変更に国民はついていけず、結党直後の支持率はわずか0.8%。多くの仲間からも見放され、野党第2党という厳しいスタートを切ることになります。
「対決より解決」理念の萌芽と厳しい現実
しかし、この絶望的な状況の中で、後の国民民主党のアイデンティティとなる言葉が生まれていました。それが「対決より解決」です。
玉木氏は、民主党政権の失敗を猛省し、与党の揚げ足取りばかりする従来の野党像からの脱却を目指しました。政府の問題点をただ批判するのではなく、具体的な対案を示し、国民生活の課題を一つでも前に進める「改革中道政党」を作るべきだと考えたのです。
この理念は非常に画期的でしたが、当時はほとんど誰にも理解されませんでした。「野党が与党と対決しないでどうするんだ!」と多くの批判を浴び、党の支持率も低迷したままでした。
決別の時、そして「新」国民民主党へ
その後、野党勢力を結集して政権交代を目指すべきだという声が高まり、立憲民主党と国民民主党の合流話が本格化します。多くの議員が「大きな塊」となることを望む中、玉木代表は慎重な姿勢を崩しませんでした。
「先輩方は民主党政権の失敗から何も学んでいない」。玉木氏は、政策のすり合わせもないまま数合わせのために合流することに強く反対。立憲民主党の左派的な政策をそのまま受け入れることはできないと、吸収合併を拒否したのです。
なぜ玉木雄一郎は「大きな塊」を拒んだのか?
メディアや党内のベテラン議員からは「代表のポストにしがみついているだけだ」と厳しい批判を受けましたが、玉木氏の決意は固かったのです。その根底には、民主党政権時代の苦い経験がありました。
- 政策の一致なくして、強い政党は作れない。
- 国民を裏切った「悪夢」を二度と繰り返してはならない。
- 今、日本に必要なのは、与党を批判するだけの万年野党ではなく、現実的な政策提案ができる改革中道政党だ。
この信念のもと、玉木氏は立憲民主党との合流を拒否。2020年9月、国民民主党の大半が新・立憲民主党へと合流する中、玉木氏と思いを同じくするわずか15人の議員と共に、新たな「国民民主党」を立ち上げる決断を下したのです。
政策実現へのいばらの道
少数政党として再出発した国民民主党は、「対決より解決」を愚直に実行していきます。その象徴的な出来事が、2022年度の政府予算案への賛成でした。
異例の予算案賛成と「与党の補完勢力」批判
当時、ガソリン価格の高騰が国民生活を直撃していました。国民民主党は、ガソリン税を一時的に引き下げる「トリガー条項」の凍結解除を強く要求。その実現のため、野党としては極めて異例である、政府の予算案に賛成するという決断を下します。
この行動は、他の野党やメディアから「与党の補完勢力だ」「魂を売った」と猛烈なバッシングを受けました。しかし、玉木代表の思いは一貫していました。「野党だから反対するのが当然、という古い政治はやめましょう。国民の生活を良くするためなら、与党への協力も惜しまない」。これが「対決より解決」の真髄だったのです。
残念ながら、連立を組む公明党の反対もあり、トリガー条項の凍結解除は実現しませんでしたが、この行動は国民民主党の姿勢を世に知らしめる大きなきっかけとなりました。
トリガー条項とは?:ガソリンのレギュラー価格が3ヶ月連続で1リットル160円を超えた場合に、ガソリン税の一部(約25円)を自動的に引き下げる仕組みのことです。東日本大震災の復興財源確保を理由に、現在まで凍結されています。
「売れない実力派地下アイドル」からの脱却
政策には自信がある。理念も間違っていない。しかし、国民民主党の支持率は一向に上がりませんでした。そんな中、玉木代表の心を揺さぶる出来事が起こります。
Z世代からの痛烈な指摘
ある学生との対話イベントで、女子大生からこう指摘されたのです。
「失礼な言い方でしたら申し訳ないんですけど、売れない実力派地下アイドルみたいだなって…」
歌もダンスも上手い。実力はある。でも、一部のコアなファンにしか届いていない。この言葉は、国民民主党が抱える課題の本質を的確に突いていました。「物価上昇率プラス2%の賃金上昇率」「N分N乗方式」など、政策は正しくても、その説明が難しすぎて国民に伝わっていなかったのです。
石丸伸二氏に学ぶネット戦略と新馬幹事長ブレイク
この指摘を真摯に受け止めた玉木氏は、発信方法の改革に着手します。参考にしたのは、東京都知事選で旋風を巻き起こした石丸伸二氏のネット戦略でした。公式に切り抜き動画を許可すると、思わぬ人物にスポットライトが当たります。
国民民主党幹事長・榛葉賀津也氏です。
記者会見で記者の名前を呼び、時には逆質問もする。歯に衣着せぬ物言いや、記者と対等に議論する姿勢が「面白い!」とネットで大バズり。榛葉幹事長の会見動画は、代表会見の何倍もの再生回数を記録し、「国民民主党にこんな面白い人がいたのか!」と、党の知名度と人気を急上昇させたのです。「売れない地下アイドル」は、ついに「売れてる地下アイドル」へと変貌を遂げました。
ついに国民に見つかった!2024年衆院選の大躍進
そして迎えた2024年の衆議院選挙。国民民主党は、ついに大ブレイクを果たします。
「手取りを増やす」最強のキャッチフレーズ誕生
今まで難解だった政策を、「手取りを増やす」という、たった一言のキャッチフレーズに集約。これが、物価高に苦しむ現役世代の心に驚くほど突き刺さりました。さらに、「103万の壁の打破」といった具体的な政策を前面に打ち出し、政治と金の問題に終始する他党との違いを鮮明にしました。
「政治の腐敗も問題だけど、それより明日の生活を良くしてほしい!」そんな国民の切実な声が、国民民主党に集まっていったのです。
キャスティングボードを握る存在へ
選挙結果は、誰もが驚くものでした。工事前の7議席から、なんと4倍の28議席を獲得する大躍進。自民・公明の与党が過半数を割り込んだことで、国民民主党は法案の行方を左右する「キャスティングボード」を握る、極めて重要な存在となったのです。
自民党に灸を据えたい、でも立憲民主党には政権を任せられない。そんな有権者の絶妙なバランス感覚が、この結果を生み出しました。
なぜ国民民主党はここまで戦い続けられたのか?
選挙後のライブ配信で、玉木代表は涙ながらに語りました。
「皆さん、私たち国民民主党を発見していただいて、ありがとうございました。見つけていただいて、ありがとうございました」
この言葉は、少数政党として苦しみ続けた日々の重みを物語っています。もし玉木代表が安易に「大きな塊」に合流していたら。もし「与党の補完勢力」という批判に屈していたら。今日の国民民主党は存在しなかったでしょう。
民主党政権の成功と、そして何よりも大きな失敗を知っているからこそ、彼らは長田町の論理に流されず、「対決より解決」という新しい野党像を貫き通すことができたのではないでしょうか。
悪夢から始まった長い旅路の末、ついに国民に見つけてもらえた国民民主党。彼らがこれから日本の政治にどのような新しい風を吹かせてくれるのか。私たちはこれからも、是々非々の姿勢で、その動向をしっかりと見守っていきたいと思います。
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