映画版と新海誠監督自身が執筆した小説版の違いを徹底解説します。映画だけでは語られなかった明里の苦悩や、貴樹の意外な一面を知ることで、作品の世界をより深く味わうことができます。
見どころ
- 見どころ1:映画では語られなかった明里の心情:★★★★★
- 見どころ2:貴樹のリアルで人間らしい一面:★★★★☆
- 見どころ3:作品が伝えたい「本当のメッセージ」:★★★★☆
映画が「鬱」だと言われる理由と、小説版の「救い」
映画『秒速5センチメートル』は、その美しい映像とは裏腹に、多くの視聴者から「悲しすぎる」「鬱になる」という感想が寄せられました。これには、新海誠監督自身も驚いたそうです。私は、映画版の第3話が特に悲しみに満ちていると感じていましたが、それは大人になった登場人物たちが、別れや悲しみを当たり前のこととして受け入れてしまっている描写にあると考えます。
「ただ生活をしているだけで、悲しさはそこここに積もる。日に干したシーツにも、洗面所の歯ブラシにも、携帯電話の履歴にも」という貴樹のモノローグは、まさに「悲しみ=雪」が日常に降り積もっていく様子を表現しています。この「救いがないことがむしろ救いになる」ような悲しい描写が、多くの人々の心を揺さぶったのでしょう。
しかし、小説版ではその描写にいくつかの変更が加えられています。
- 結婚が決まった明里が、過去の思い出を前向きに振り返り、中学生の貴樹に「救いの言葉」をかけてあげたいと願う場面。
- 貴樹が元彼女の水野理沙との別れを「ちゃんと悲しみ、後悔している」と心情が明確に描かれる場面。
これらの変更は、映画を見た人々の「悲しすぎる」という声に応えた、監督の意図的なものだったのかもしれません。
確かに、心が安らぐ描写ではありますが、私はこの変更があまり好きではありません。なぜなら、映画の持つ「悲しいけれど美しい」という劇的な表現が、やや薄れてしまうと感じるからです。
貴樹は「クズ」なのか?映画と小説のギャップ
映画を見た人の中には、貴樹のことを「クズだ」と批判する意見もあります。確かに、部屋は散らかり、仕事も辞めて、感情が読めない表情をしている姿を見ると、そう思ってしまうかもしれません。しかし、あえて貴樹の「ダメな部分」を見せることで、観客は「現実って辛いよな」と共感したり、自分と比較して優越感に浸ったりすることもできたのではないでしょうか。
ところが、小説版の貴樹は「クズ」とは真逆の人物です。彼は優秀なシステムエンジニアで、仕事にもやりがいを感じていました。仕事を辞めても困らないほどの貯金があったことも明かされています。私はポンコツなので、優秀な貴樹には共感できない部分があるかもしれません。
さらに、小説版の貴樹は、女性との付き合い方に関しても、映画とは異なる側面が描かれています。映画の貴樹は明里を思い続ける一途な人物として描かれていますが、小説では3人の女性と付き合い、嫉妬心から関係を壊してしまうような、自己中心的な行動も散見されます。
小説の貴樹の恋愛:
小説では、貴樹が水野理沙以外に2人の女性と付き合っていたことが明かされています。特に2人目の坂口さんとの関係は「浮気」という形で、かなり激しい恋だったようです。これだけ女性を振り回しておきながら、「なぜ俺は誰かを少しでも幸せに近づけることができなかったんだろう」と嘆く貴樹の姿は、正直「自己憐憫がすぎる」と感じてしまうかもしれません。
この小説の描写は、映画版の貴樹の「明里を思い続けるが故の行動」という解釈を覆すものでした。貴樹は明里に固執しているつもりはなく、新しい恋を求めていたようです。
しかし、心のどこかで「本命」を求めていながら、付き合った相手には本気になれない。そして、相手が他の人と話すだけで激しい嫉妬を覚える。これは、過去に「失う悲しみ」を経験した人間の、リアルな行動なのかもしれません。
「あなたはきっと大丈夫」に隠された、もう一つの意味
映画のラストシーン、明里が貴樹に伝えた「きっとこの先も大丈夫だと思う」という言葉。私はこの言葉を、過去の恋に区切りをつけ、貴樹に前向きに生きてほしいと願う、明里からのメッセージだと解釈していました。
しかし、小説版のようにこの言葉が「救い」として強調されると、新たな解釈が生まれます。
貴樹の思考が明里に伝わった?
岩舟駅で再会した二人はキスをします。この時、貴樹の長くて複雑なモノローグが流れますが、もしかしたらこの思考が、キスを通じて明里に伝わったのではないでしょうか。
明里は貴樹の不安や苦悩を知り、彼を抱きしめ、「あなたはきっと大丈夫」と心の中で語りかけた。そう考えると、この言葉が「励まし」として発せられたという解釈も成り立ちます。
しかし、この解釈には問題点もあります。
- 関係が対等ではなくなる:明里が貴樹に同情し、慰めているように見えてしまい、二人の関係性が対等ではなくなってしまう。
- 作品のメッセージを否定してしまう:「一途な恋の美しさ」を肯定した映画のテーマが揺らいでしまう。「明里を忘れて次の恋をするのが正しい」という主張が通ってしまうからです。
- 「別れの言葉」にしか聞こえない:個人的な話ですが、「あなたなら大丈夫」という言葉は、別れを告げる際によく使われる言葉です。私にはこの言葉が「あなたがいなくても、私は一人でやっていける」という意味にしか聞こえません。
新海誠監督は、映画版のメッセージが伝わりにくいと感じたからこそ、小説版でより明確な言葉を選んだのでしょう。しかし、その結果、美しく遠回しな描写が持つ余韻が失われてしまったように感じます。
映画『秒速5センチメートル』は、一見悲しい物語ですが、だからこそ美しい。そして、その解釈は一つではありません。叶わなかった恋を悲しむのか、それとも忘れて前に進むのか。見る人によって、受け取り方は様々です。
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