第1話「桜花抄」の後半、貴樹と明里が岩舟駅で再会し、ついにキスをする場面から考察を再開します。
映画『秒速5センチメートル』を見た人が抱く最大の謎。それは、以下の3つに集約されるのではないでしょうか。
- 明里はなぜ、貴樹に手紙を渡さなかったのか?
- キスをしたことで、二人の気持ちはどのように変わったのか?
- 二人が用意した手紙には、何が書かれていたのか?
これらの謎を解き明かす鍵は、映画の描写と、新海誠監督自身が書いた小説版に隠されていました。
見どころ
- 見どころ1:手紙に込められた切ない本音:★★★★★
- 見どころ2:キスがもたらした心の変化:★★★★★
- 見どころ3:高貴な行動の真意:★★★★☆
貴樹は「クズ」なのか?あの行動の真意を考察
『秒速5センチメートル』の感想で、貴樹を「クズ」だと批判する意見を時々見かけます。しかし、私はその多くが的外れだと感じています。その理由は、映画の描写を見落としていたり、悲しすぎる結末に対して「犯人探し」をしてしまっているからではないでしょうか。
ですが、そんな私でも貴樹に対して「畜生だな」と感じたシーンが1つだけありました。それは、岩舟駅の待合室で再会した場面です。明里が貴樹のコートを掴んで涙をこぼした時、貴樹はポケットに手を入れたまま、明里の手を握り返しませんでした。なぜ、彼は明里を抱きしめてあげなかったのでしょうか?
その答えは、貴樹がこの再会を「別れを告げるため」だと決意していたからです。
彼は再会を願う一方で、明里がもし駅に来なかったら、お互い傷つかずに済むとも願っていました。しかし、明里は待っていてくれました。その喜びと同時に、「別れの言葉を伝えなければならない」という決意が固まります。だからこそ、彼は明里の差し出す手を握らず、自分から明里に寄り添うことを避けたのです。
しかし、明里と話せば話すほど、彼女が自分にとって唯一無二の存在であることを再認識していきます。ストーブの上で湯が湧く描写は、再び熱を帯びていく二人の気持ちを表しています。明里が作ってくれたおにぎりを食べた貴樹は、その大切さを痛感し、涙を流すのです。
手紙の真実:二人が本当に書きたかったこと
キスをする場面を考察する前に、二人が用意していた手紙の内容を見てみましょう。
明里が書いた手紙
小説版で明かされた明里の手紙は、映画で映った部分の6倍もの長さがあります。
- 貴樹を待つ間に書いていること。
- 転校なんてしたくなかったし、貴樹と一緒に大人になりたかったこと。
- 栃木と東京はまだしも、鹿児島は遠すぎること。
- 自信はないが、一人でやっていけるようにならなければならないと思っていること。
- この先どんなに遠くに行っても、貴樹のことがずっと絶対に好きだということ。
明里は映画の中で、悲しさや辛さを一切口にしません。
だからこそ、小説で彼女の抱えていた苦しみや、それでも前を向こうとする強さを知った時、胸が締め付けられます。「一緒に大人になりたかった」という一文は、反則だと思います。
新海監督は、安易な感動ではなく、作品のメッセージを優先するために、明里視点の情報を極端に少なくしたのかもしれません。
貴樹が書いた手紙
一方、風に飛ばされてしまった貴樹の手紙には、以下のように書かれていました。
- 大人になるということが自分には分からない。
- 明里にまた会えた時に、恥ずかしくない大人になっていたい。
- 明里のことがずっと好きだった。さようなら。
二人の手紙は、「あなたのことがずっと好き。でも、別れなくてはいけない」という点で、よく似ています。
明里は「これからもずっと好き」と未来を、貴樹は「ずっと好きだった」と過去を意識しているところに違いがあるだけです。この手紙の内容からも、二人が別れを決意しながらも、最後にもう一度会おうとしていたことが分かります。
キスがもたらした決定的な変化
雪が降る桜の木の下で、貴樹と明里はキスをします。
キスによって貴樹は、明里が自分にとってどれだけ重要な存在であるか、そしてこの先二人は一緒にはいられないことを決定的に感じ取ります。東京に帰る電車の中で、貴樹はこうモノローグで語ります。
あのキスの前と後では、世界の何もかもが変わってしまったような気がしたからだ
この感情は、別れを決めていた明里も同じだったのではないでしょうか。キスの直後、二人の手は真逆の動きをしています。明里はこわばっていた手を開き、貴樹は明里の手を握ります。明里が手を開いたのは、別れるという決意が緩んでしまったことを表しているように見えます。貴樹が手を握ったのは、明里の大切さを噛み締め、彼女を守れる力が欲しいと願ったからでしょう。
明里は、キスによって貴樹の大切さを再認識し、別れを伝える手紙を渡すことができませんでした。別れを確定させることをためらったのです。一方で貴樹は、別れを記した手紙を風でなくしてしまいました。もし彼が手紙を持っていたとしても、明里と同じように渡せなかったのではないかと私は考えています。
明里は別れを記した手紙を持ち続けたことで、大人になるまでずっと別れを意識することになりました。一方、貴樹は手紙をなくしたことで、キスの後は明里の大切さを強く意識するようになります。別れを切り出すと決めていたはずの貴樹が、明里のもとに少しでも近づきたいと努力するように変わっていったのは、この手紙の有無が重要な要素だったのかもしれません。
『秒速5センチメートル』がよく議題に上がるのは、男女の恋愛観の違い(女は上書き保存、男はフォルダ保存)が原因だと語られることもありますが、貴樹と明里は非常によく似た二人でした。二人の行動を左右したのは、手紙の有無が重要な要素だったと私は考えています。
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