「ヤクザって、今も本当にいるの?」そんな素朴な疑問を抱いたことはありませんか?ニュースで耳にする暴力団の話題は、どこか遠い世界の話のように感じがちです。
しかし、実は私たちの身近なところで、彼らは今も活動しているのです。今回は、最近話題になった山口組幹部の引退ニュースをきっかけに、現代の暴力団の勢力図や、知られざる彼らの実態について深掘りしていきます。もしかしたら、あなたの知らない「なるほど!」が隠されているかもしれませんよ。
現代ヤクザの「今」を知る!
最近、山口組幹部の引退というニュースが流れました。2023年10月、神戸山口組の二次団体である大門会の清崎達也会長が突然引退を表明したのです。清崎元会長は2015年の山口組分裂騒動以降、神戸山口組に所属し、組長の側近として重用されていた人物です。
このような要職の人間が突然引退した理由は明らかにされていませんが、この引退によって神戸山口組の直参組長の人数が大幅に減少し、組織の縮小が深刻化していると見られています。たった数人で全国の組織を支えるのは、かなり厳しい話ですよね。
暴力団勢力図の複雑な現実
- 組織の高齢化と人材不足:★★★★☆
- 資金源の多様化と巧妙化:★★★★☆
- 意外と身近に潜む危険性:★★★☆☆
一見すると衰退しているように見える暴力団ですが、その実態は非常に複雑です。彼らの動向を知ることは、私たちの社会を理解する上で避けては通れないテーマと言えるでしょう。
神戸山口組、止まらない分裂の波
神戸山口組は、以前から組織内での分裂が続いていました。2017年には若頭代行だった織田義氏が離脱し、任侠団体山口組(現在の絆会)を設立。さらに2020年には中核組織であった池田組が独立するなど、その勢力の弱体化は止まらない現状です。
その結果、現在では六代目山口組 対 神戸山口組 対 絆会という、三つ巴の対立構造になっていると言われています。一部では、神戸山口組と絆会が六代目山口組に対抗するために協力関係にあるとも言われていますが、実態としては非常に不安定なバランスで成り立っており、ちょっとしたきっかけで抗争に発展してしまうような緊張状態が続いているのです。いつ、どこで、何が起こるか分からない、そんな状況が続いているのは怖いですよね。
衝撃的な抗争事件の現実
ニュースで見聞きすることはあっても、まさか自分の身近で起きるとは思いたくない抗争事件。しかし、実際にはこのような事件が起きているのです。
宮崎の銃撃事件とその背景
2023年9月、宮崎県宮崎市で衝撃的な事件が起きました。六代目山口組の二次団体である弘道会の中にある稲葉地一家の幹部が、敵対する池田組傘下の事務所を訪れ、幹部の男性を拳銃で撃ち殺害したのです。事件当日、犯人は作業服姿で首からIDカードのような身分証を下げ、手に小さめのダンボールを持って事務所を訪れ、「蓄水業者」と名乗ってインターホン越しにドアを開けさせました。そして、隠し持っていた拳銃を取り出し、対応に出た被害者男性の胸めがけて30cmの至近距離から5発発砲。男性は出血性ショックで死亡しました。
発砲後、警察が駆けつけても逃走はせず、現場に留まっていたようで、両手を上げて自らパトカーに乗り込み、殺人未遂容疑で現行犯逮捕されました。その後、亡くなったため殺人容疑で送検されましたが、殺人容疑については処分保留となっています。この時、回転式拳銃2丁と実弾2発を所持していたため、銃刀法違反の罪で起訴されましたが、2023年12月には殺人と銃刀法違反の罪で追起訴されています。
なぜこのような事件が起きたのでしょうか?一部では、神戸山口組サイドによるラーメン店射殺事件の報復ではないかという推測がされています。もしこれが事実であれば、まさに抗争が続いている証拠であり、表向きは静かなように見えても、実際の現場ではこうした抗争が起きているということになります。いや、怖すぎでしょ。皆さん、関わっちゃだめですよ。
豆知識: この事件の数ヶ月前にも、似たような衝撃的な事件が起きています。2023年4月、岡山県倉敷市の住宅街で、六代目山口組傘下組織の組員が民家の駐車場に手榴弾を投げ込み爆発させ、民家の1階と隣接するアパート2階の窓ガラスを割るという、まるで「世紀末」のような事件があったのです。この民家も池田組幹部の関係先だったそうで、脅す目的で襲撃したと言われています。一歩間違えれば民間人が巻き込まれてもおかしくないような無差別攻撃を平気で行う彼らの行動には、ただただ驚かされます。
ラーメン店主は組長だった?衝撃の報復事件
もちろん、山口組サイドがターゲットにされることもあります。2023年4月、神戸市長田区のラーメン店「龍の髭」で、絆会幹部がこの店の店主で六代目山口組弘道会傘下の組長を拳銃で殺害しました。この店は事件の7年前、2016年5月に開店し、安くて美味しいと評判だったそうです。殺害された組長は周囲にヤクザの組長であることを隠しつつも、営業を頑張っていたと言われています。他にも、こうした家業では珍しいと思うのですが、美味しいB級グルメを紹介するInstagramとしても活動していました。ラーメン屋家業が順調だったこともあり、最近では信頼する近しい組の関係者に対しては「上納金も払えないし、ヤクザをやめてラーメン屋に専念したい」と相談していたそうです。これが今回の事件と関係していたのかどうかは実際には分かっていませんが、六代目側からすると組織の組長が殺されたというのは紛れもない事実です。
そして先ほど紹介した「蓄水業者」を装って殺害した事件は、このラーメン店の事件があったため、六代目山口組弘道会による報復ではないかと囁かれています。
ただし、2024年4月10日、六代目山口組は対立する神戸山口組との抗争を集結すると兵庫県警本部に宣誓書を提出し、宣告しています。理由は、神戸山口組がこの10年間で構成員の人数が9割以上減って弱体化していることが原因と見られています。いやはや、ここまで事件を紹介してきましたが、いろんな組の名前が出てきて頭がごちゃごちゃになってしまいますね。しかし、やはり暴力団と呼ばれるだけあって、「やられたらやり返す」という考え方が今でも残っているようです。
暴力団は本当に衰退しているのか?
これだけ抗争事件が起きていると、今もまだヤクザは身近な存在なのかな、と思うかもしれません。しかし、実際のところは少し違います。
減少する構成員と高齢化の波
警視庁の令和5年における組織犯罪の情勢についての報告書によると、暴力団構成員と準構成員の数はここ20年で減少の一途をたどっています。2004年の8万7000人をピークに19年連続で減少し、2023年末時点では2万400人と、過去最小となっています。加えて、2022年末時点の全暴力団勢力の年齢構成では、50代が最多で30.8%、次いで40代が26.3%、30代が12.9%、60代が12.5%、70代以上が11.6%、20代が5.4%の順。若い世代の20代が最も少なく、反対に50代以上が半数以上を占めているのです。つまり、言い換えればヤクザも高齢化と人材不足によって、明らかに弱体化してきているということがはっきりと分かります。
これは、暴力排除条例の強化や暴対法の改正によって資金源が断たれつつあるという背景もありますし、若い世代がわざわざ厳しい上下関係の中に飛び込もうとしない、といった時代の空気も影響していると個人的には思いますね。しかし、そうは言っても、形を変えて元ヤクザや半グレが裏社会で暗躍しているパターンもあるので、油断はできないところです。
豆知識: 近年増えているのが、元暴力団による非合法活動です。2年前にも、10代の少年グループが東京銀座の腕時計店に白い仮面をつけて押し入り、腕時計を奪って逃走した強盗事件がありましたよね。この大元の黒幕が半グレや複数の暴力団のメンバーで構成されているケースがあり、その手口としてはSNSを利用して実行犯を募集し、自分たちに協力する「強制者」と呼ばれる一般人と連携して犯行を行っていたり、特殊詐欺などで違法な資金調達を行っていると言われています。
巧妙化する資金調達の手口
資金調達でいくと、他にもいくつかあります。まず代表的なものが見かじめ料です。これはざっくり言うと、組織の縄張り内で飲食業や風俗営業を営む店に対して「ここで店を出すのはいいけど、それならうちの挨拶しなさいよ」ということで、その営業を容認する見返りとして金銭を要求するものです。他にも、店で使う物品の購入やリースなどを高額な価格で売りつける、といった手口もあると言われています。
大前提として、こうした行為は請求する側はもちろん、その支払いに応じた側も違法になるのですが、実際のところどれだけのみかじめ料がやり取りされているのかについては、警察側も完全に把握できていないのが実情です。というのも、備品代や広告費のような別の名目で徴収するようなのです。つまり、警察としても誰が要求したお金なのか、法的な取引だったのかを把握するのが非常に困難で、古くからあるスキームではありますが現在でも続いていると言われています。昔は用心棒のような感じだった、と聞きますが、今も形を変えて存在しているのですね。
あまり聞き馴染みがないもので言うと、「企業対象暴力」というものがあります。これは暴力団などが社会運動や政治活動を口実にして、民間企業や行政機関に対して不当な要求行為を行い、利益を得るという手口です。具体的に言えば、正当な右翼政治活動を仮想して政治活動の資金として寄付金を要求したり、融資を強要したり、あとは機関誌という政党や団体組織がその政策や主張を宣伝するために発行する新聞や雑誌の購読を迫ったりと、色々あるそうです。こういった活動を「右翼政治活動」と呼びまして、簡単に言うと民族差別や政治家の主張を盾にしてお金を引き出すというビジネスです。
こういった手口も含めて、1981年に日弁連民事介入暴力対策委員会というものが設置されて以来、取り締まりが強化されました。時代が進むにつれて対策も進化するので、暴力団の資金繰りの手口もだんだん変化してきているのが事実です。
この流れにさらに追い打ちをかけているのが、いわゆる「上納金」の仕組みです。ざっくりと、親分が子分の組員たちから会費や交際費、香典のような名目でお金を徴収し、それを組織の上に納めるという昔ながらの制度なのですが、もちろんもらった親分側もさらに上の組織に納めなければいけない、という連鎖構造になっていて、下の組織はほとんど資金繰りができなくなっていくんですよ。それが事件に繋がり、組織の評価が下がって、さらには資金が減って…という、完全なる負のスパイラルと化してしまっています。このように、暴力団社会の中でも金銭の流れが変わり、困窮しているという状況だと言われています。
現存する主要な指定暴力団たち
では、今のこうした暴力団の世界にはどんな組織が残っているのでしょうか。ここからは、実際に現存する指定暴力団の構成員人数をベースに、勢力が小さい順に紹介していこうと思います。
20位から11位までの組織
- 20位: 会津小鉄会(構成人数 推定40人)京都府京都市に本部を置く指定暴力団で、かなり歴史のある老舗です。幕末の頃、会津藩に出入りしていた高坂仙吉という人が京都の博徒たちを集めて結成しました。150年以上存在していますが、近年はなんとか生き延びているといった状況で、2009年から2018年の間で600人以上の構成員がやめており、最盛期には1600人くらいいた組員も今や40人と、勢力としては弱りつつあります。ちなみに、最近トップが変わっており、2023年11月には六代目山口組大石一家の高山誠賢総長が八代目会長として就任しました。山口組の直系組長が他の指定暴力団のトップを継承するのは初めてのことだったそうです。何の情報!
- 19位: 浅野組(構成人数 推定50名)岡山県笠岡市に本部を置く指定暴力団で、岡山県と広島県を勢力範囲としています。起源は1945年頃、博徒だった大山國男が現在の笠岡市を拠点として結成した大山一家で、一度解散した後、幹部だった浅野眞一が新たに浅野組を結成しました。その後組織を拡大し、過去には山口組に対抗する同盟組織「関西二十日会」に参加したり、敵対組織との抗争事件を度々起こしたりと、その中心人物として活動していました。現在は五代目となっています。
- 18位: 三代目共政会(構成人数 推定80名)広島県の尾道市に本部を置く指定暴力団です。元々は高橋徳次郎という方が高橋組という組織名で賭博事業をしていたのが始まりとされています。その後、森田高吉が組織を引き継ぎ、1969年に元高橋組を中心に尾道市周辺の暴力団組を集めて初代共政会を結成しました。現在三代目です。中国地方の5県の中だと、広島県だけが山口組と神戸山口組の傘下組織の事務所がない唯一の県で、共政会の他、先ほど紹介した浅野組、広島市に拠点を置く俠道会の3団体が活動拠点になっています。3団体とも実は過去に反山口組織「関西二十日会」に加盟していたこともあり、かつては敵対する立場でしたが、直近は山口組対反山口組系の構図のような抗争はあまり起きていません。
- 17位: 太州会(構成人数 推定90名)福岡県田川市に本部を置く指定暴力団で、福岡県内を主な活動拠点としています。設立のきっかけは1954年頃、元々田川市内で観光労働者をしていた太田國春が不良集団を集めて「太田グループ」という愚連隊を結成したことが始まりです。勢力は拡大し、名称も太田組会と変わっていきます。1991年には、西日本地区の親睦団体「西日本二十日会」が解散した際に、北九州市の工藤会、久留米市の道仁会と共に「三社会」という独自の団体を結成しました。1993年には指定暴力団に指定され、現在では2005年から熊本県に本部を置く熊本会が新たに加入し、名称自体も一つ追加されて「四社会」になっています。福岡に住んでいた時はこの名前をよく聞きましたね。「田川の川崎」でしたっけ、本部が。この地区だと結構有名な話でした。
- 16位: 福博会(構成人数 推定110名)福岡県福岡市に本部を置く指定暴力団です。1985年、四代目山口組伊豆組の組長の提言によって、地元団体の親睦組織として発足・結成されました。現在四代目となっています。この組織については以上なのですが、実はここ、総本部の拠点がすごいところにあって、ちょっと具体的な名称は避けるのですが、福岡市のとある大学キャンパスの真横に外壁を隔てて隣接しているという話があります。さすがに地域密着型すぎてちょっと怖いイメージがありますが、裏を返せばそれだけ地域との癒着が強いということなのかもしれません。
- 15位: 旭琉會(構成人数 推定130人)大阪府西成区に本部を置く指定暴力団です。「武闘派一門」や「喧嘩の旭琉會」といった別の呼び名でも知られています。特徴としては、構成員の多くが大阪出身者であったり、覚醒剤の密売を主な資金としていたり、どこかの国の傘下にはならず常に独立状態で活動しているといったことがあり、周りからは「少数精鋭の組織だ」と言われています。名前が知られるようになったのは1973年頃からで、この頃大阪南の繁華街で山口組系山健組の構成員と些細なトラブルがあったことでお互いの本部事務所を銃撃し合う大抗争を起こしたり、さらにこれを皮切りに1982年にも三重で山口組の二次団体弘田組との抗争、あとは1987年にも「泉州抗争」と言われる杉組須藤組との間で半年間に計26件の事件を起こしていて死者5名、負傷者2名を出す大抗争を起こしていました。一たび戦闘となれば相手に引けを取らない無敵スタイルを貫いていたそうで、メディアなどの報道を通じて認知されていきました。
- 14位: 関東関根組(構成人数 推定130人)茨城県土浦市に本部を置く指定暴力団で、最近名前が変わりました。元々は2014年、東京都台東区に本部を置く「松葉会」から分裂した組織で、七代目の跡目争いを巡って離脱し、別の団体として「松葉会関根組」を結成していました。しかし、松葉会からしたら脱退したはずなのに自分たちの名前がまだ使われているのがどうも気に食わなかったと。で、結果その3年後、松葉会と和解した上で名称から松葉会を外し、代紋も使用しない条件付きで関東関根組に改称し現在に至っています。
- 13位: 相生会(構成人数 推定140人)千葉県市原市に本部を置く指定暴力団で、千葉県と神奈川県横浜市の関東2県を主な活動拠点にしています。1952年から1954年の間に設立され、「相愛」というのは隣人を愛して団結を固めるという意味が込められており、結成当初から山口組とは親しい関係が続いているとされています。最近ですと2016年6月、理事長の静塚登氏が七代目を継承した際、会長交代を伴う継承式に神戸山口組との抗争中だった六代目山口組の司忍組長が後見人として出席して話題になりました。
- 12位: 俠道会(構成人数 推定140人)先ほどの「関西二十日会」の加盟組織のくだりの際に少しだけ出てきた俠道会ですが、こちらは広島県広島市に本拠地を置く指定暴力団です。1964年、山村組の山村達雄組長が広島市の敵屋(てきや)村上組の村上正己として結成されました。この6年後の1970年、反山口組同盟の「関西二十日会」が結成されたのですが、ただ実際には同盟組織は機能していなかったとも言われています。1990年、「札幌事件」という札幌市の北海道神宮付近で、三代目俠道会系右翼団体「維新天忠会」の会員2人が山口組二次団体の誠友会・石本春雄総長を射殺した抗争事件が起きました。当時は山口組直系の組長が射殺されるというのは前代未聞のことだったため、マスコミも煽り立てて、どこかで山口組の報復による全面戦争が起きるのではないかと危惧されていましたが、結局数件の報復事件は起きたものの、事件から2ヶ月後には和解が成立し、さらにこの数ヶ月後には和解するにあたって俠道会の沖本勲理事長は山口組若頭補佐の桑田兼吉と盃を交わしたんですよ。親戚関係まで結んだとされているんですよね。そのため、俠道会は今の山口組の1つ前、五代目体制の頃から山口組とは親交が深いとされております。
- 11位: 浪川会(構成人数 推定150人)福岡県大牟田市に本部を置く指定暴力団で、元々は九州誠道会という久留米の暴力団道仁会の内部分裂がきっかけとなって脱退した組長らが結成した組織が前身です。その後、2013年に九州誠道会が解散し、当時トップだった浪川政浩総裁が後継組織を結成し、2015年に浪川会に改称しました。現在まで豊富な資金力があり、全国の暴力団組織に影響力を持つと言われています。しかし、2023年6月、浪川政浩総裁が引退してトップが交代し、今後勢力がどうなっていくのかが注目されています。
10位から1位までのトップ組織
- 10位: 工藤会(構成人数 推定300人)福岡県北九州市に本部を置く北九州地区最大の指定暴力団で、その主な資金源としては、みかじめ料の要求、違法薬物の密売、公共工事などへの不当介入があるとされています。かつてアメリカの財務省から「工藤会はヤクザの中で最も凶暴な団体だ」と言われていました。それほど有名で凶暴なイメージが強かったのですが、最近だと2014年に総裁の野村悟が逮捕され、起訴されましたね。それから現在までの丸10年、市民を狙った4つの事件に関わったとして殺人や組織犯罪処罰法違反などの罪に問われた裁判では、長引いて2021年の一審では死刑判決、死刑が求刑され、2023年3月には無期懲役が言い渡されました。その間にも、大手ゼネコンや飲食店から上納されていたみかじめ料が断たれたということで、組織としての勢力が縮小しています。結果、組員の数は2008年の1210人がピークで、以降離脱が相次ぎ、幹部らが次々と逮捕され、福岡県警による「頂上作戦」直後の2014年末では790人、さらに2023年末時点では過去最小と、ピーク時の1/4以下となっています。
- 9位: 旭琉會(構成人数 推定320人)沖縄県中頭郡北谷町を本部に置く指定暴力団で、1970年に結成された「沖縄連合旭琉会」という組織が前身です。この経緯としては、元々沖縄の暴力団というのは、いわゆる一般的に想像するヤクザではなく、戦後の混乱期から現れ始めた地元の不良が集まって結成された無法集団の場合が多いと言われています。気難しい伝統やしきたり、掟のようなものは一切なく、「喧嘩が強い奴がリーダー」という感じだったのですが、その中でもいくつか派閥があり、それが那覇市を拠点とした「那覇派」と、後に沖縄市地域を拠点とした「コザ派」で、この2つが対立抗争状態にありました。しかし、この頃はちょうど1972年、沖縄の本土復帰を目前に控えたところで、本土にいる暴力団の沖縄進出が囁かれるようになり、これに対抗しようと2派が結託して発足したのが「沖縄連合旭琉会」でした。その後も組織内の争いはちょこちょこあったものの、1990年の第六次抗争時に分裂していた極琉会と沖縄会が、それから21年経過した2011年に一本化したことで名称を旭琉會と改称し、現在に至っています。
- 8位: 絆会(構成人数 推定400人)先ほども紹介した大阪府大阪市に本部を置く指定暴力団です。元々兵庫県の尼崎市に拠点を構えていたことも関係しているのかどうか、主な活動拠点は兵庫県内です。そもそも発足したのは2017年4月と最近ですが、この2年前、2015年に起きた六代目山口組の分裂騒動がきっかけで、この時離脱したメンバーで結成された神戸山口組と、さらにこの神戸山口組を抜けたメンバーで結成された「任侠団体山口組」の計3派に分裂することになるのですが、この任侠団体山口組が後の絆会です。
- 7位: 松葉会(構成人数 推定420人)東京都台東区に本部を置く指定暴力団です。先ほど紹介した関東関根組が離脱する前にいた元の組織で、結成はかなり前の1953年と長い歴史があります。過去の大きな事件だと1960年4月、毎日新聞がヤクザと自民党議員の間で「黒い交際」があると報じたことに対する報復行為として、組員19名が当時東京都千代田区有楽町にあった毎日新聞社本社に乗り込んだ上、輪転機をストップさせたり、椅子を投げたり、書類を荒らし回って砂をかけるといった襲撃事件が起きています。最近も揉め事があり、2019年頃から縄張り争いを巡って山口組とは対立関係にあります。まず2020年1月、松葉会系の組員が東京都足立区の山口組系の組事務所にダンプで突っ込みました。この報復として8日後、松葉会の総本部事務所で山口組二次団体の組長ら3人が1階のシャッター付近に火をつけた火炎瓶を投げるという事件が起きています。ちなみに、この騒動を巡ってはその後「痛手」となる処置が行われました。2023年11月、事務所のあるビルの地権者が賃貸契約をした松葉会側に対して明け渡しを求めた裁判を起こされ、松葉会側にこのビルの撤去と明け渡しを命じる判決が言い渡されています。
- 6位: 道仁会(構成人数 推定480人)福岡県久留米市に本部を置く指定暴力団です。九州を拠点に、福岡の他には佐賀、長崎、熊本にまで勢力を伸ばす一大組織です。1986年には「山道抗争」という、同じく九州に拠点を置く山口組二次団体との抗争が起き、これによって警察官や少年らが誤って殺されたり、無関係の市民が巻き添えとなって77件の発砲事件が起き、死者が出ました。最終的には翌年の1987年3月、警察の介入によって両組織が抗争集結の誓約書というのを提出して手打ちになり、この頃から山口組と互角に渡り合った組織として引かれるようになったんですね。2023年5月には新会長の継承式が行われ、現在五代目でございます。
- 5位: 極東会(構成人数 推定520名)東京都新宿歌舞伎町に本部を置く指定暴力団です。一つ特徴的なのが、覚醒剤の売買や風俗店の経営、闇金融といったことを行っていると同時に、的屋(てきや)組織としても知られています。そのため、他にも博徒系組織と度々トラブルを起こしているのですが、例えば大きなものですと1993年に勃発した「山口組系山健組対極東会系真誠会間の抗争」というもので、この抗争の発端となったのは札幌市で賭け麻雀のトラブルから極東会真誠会鈴木組組長の鈴木彦市が山口組山健組北竜会小室工業組長の小室正彦を刺殺したことで火がつき、わずか5日間の間に10都道府県で40件以上の発砲事件が起き、3人の死者、6人の重傷者を出しました。結果、当時7000人の組員数を誇っていた山健組に対して、真っ向から立ち向かった組として、彼ら極道社会の中で極東会の評価が爆上がりしたそうです。この騒動をきっかけに警察が動き、極東会は1993年7月、指定暴力団に指定されました。
- 4位: 神戸山口組(構成人数 推定1700人)兵庫県加古郡稲美町に本部を置く特定抗争指定暴力団です。結成の経緯は、前半でもお話ししたように2015年、山口組の分裂騒動が起きて、最大派閥だった山健組を筆頭に離脱した13組織が手を組んで発足したのがこの神戸山口組です。発足当時、自分たちこそが「正当な山口組だ」と強気に語っていましたが、ここ数年、神戸山口組の中でも最高幹部の池田組や国粋会、正木組が次々と離脱し、殺人未遂などの罪で起訴されていた山健組長の中田浩司被告が除籍処分を受けたりと、こうした騒動が度々話題に上がることがあり、もうすでに分断寸前、いつ崩壊してもおかしくない状態だと言われています。
- 3位: 稲川会(構成人数 推定2200人)東京都港区六本木に総本部を置く指定暴力団です。前身は稲川組と言い、1949年に静岡県の熱海市で地元の博徒である山崎盛観の縄張りを引き継いで形成された組織で、その後東京に出て数年後の1972年に現在の名前になりました。この頃から山口組とはすごい仲が良かったそうで、分裂騒動の際も離脱組の神戸山口組に対して「一切認めない」と、元祖山口組の姿勢を取っていましたが、その辺りの方針については現在も変わっていないそうです。
- 2位: 住吉会(構成人数 推定2800人)東京都新宿区に総本部を置く指定暴力団です。前身となる組織ができたのはかなり前で、明治初期の頃、初代伊藤松五郎が東京芝浦一帯を縄張りとして結成した博徒で、「住吉一家」と言います。ちなみに一般的にヤクザ社会では、こうした一家の名称を変える時って初代の名前をそのままつけるか、地名をつけるかのどちらかなのですが、伊藤自身が現在の日本橋人形町(旧日本橋住吉町)出身だったことから、地名が一家の名前になったんですね。何度か改称はありましたが、現在でも住吉会という名前で残っています。最近の抗争以外の出来事で行くと、2012年、海外政府も動いたのですが、アメリカ財務省が前年の2011年7月に発効した国際犯罪組織に制裁を課す大統領令に基づいて、住吉会と幹部2人に対してアメリカ国内の資産凍結、アメリカの個人・団体との一切の取引を禁止する金融制裁が課されました。直近ですと、2023年3月、新宿区にある本部事務所に関して、事務所周辺の近隣住民およそ40人の意見を受け、公益財団法人暴力団追放運動推進都民センターが東京地裁に対して「平穏な生活を営む権利が侵害されている」としてマンション2室に及ぶ本部事務所の使用を禁止する処分を申し立てました。結果、東京地方裁判所が申立てを認め、定例会実施や構成員の立ち入りの他、住吉会の看板や歴代組長の写真を掲載するといった事務所としての使用を禁止する処分が決定しています。活動の幅がどんどん縮小していますね。
- 1位: 六代目山口組(構成人数 推定4400人)兵庫県神戸市に本部を置く指定暴力団で、その勢力範囲としては山形、広島、鹿児島、沖縄を除く43の都道府県に系列組織を構える一大勢力です。設立は1915年、後に「神戸ヤクザの頂点」と言われることとなった大島秀吉率いる大島組の傘下につき、当時およそ50人の労務者を抱える小さな組織として発足しました。活動を続けていく中でその勢力が拡大し、いつしか本家の大島組を凌ぐものになりました。結果、1925年には初代組長の息子山口登の二代目襲名を経て、神戸中央卸売市場の開設に伴う利権を巡って大島組と対立しました。この際、激しい抗争の末、同場の運送作業の独占権を確保したのですが、その数年後の1932年、大島組から抜けて独立しました。そしてこの時、急速に巨大化したのが、山口登の死後三代目トップに据えられた田岡一雄の体制の頃だったのです。わずか33名だった組員数は、発足から1965年までの約20年で傘下424団体、総数9450名を超える大組織に発展しました。その間、小松島抗争、明友会抗争、鳥取抗争、博多事件、広島代理戦争、松山抗争といった対立抗争を幾度となく繰り広げ、田岡一雄が死去する前年にあたる1980年までに、233件、559団体、総勢1万1800人を要する組織に成長したのです。その後、四代目、五代目となっていくのですが、五代目体制時は1995年に発生した阪神・淡路大震災の際、組織全体で救助活動を行ったことが話題になり、その活動が地元新聞の記者に「半端なものではなかった」と書しめたほどだったそうです。その後2005年、五代目体制が終焉し、当時若頭だった司忍が新たな組長として六代目体制が発足し、現在に至っています。合わせて紹介すると、この六代目体制以降は、どうやら年度ごとに定められている「組指針」というものがあるらしく、これが「警察官と接触しない」「警察機関に人物を出さない」「警察官を組事務所に入れさせない」と定めて警察との距離を置くというものです。ここだけ聞くと、なんだか非協力的だなと思うかもしれませんが、表向きは、イメージ払拭のために「家宅捜索には警察を速やかに入れて調べてもらいなさいよ」という、そういった前向きの姿勢を取っているそうです。警察との関わりについても変化しつつあるということですね。
暴力団の勢力図
今回は、現代における暴力団の勢力図について、構成員の少ない組から順番に20組を紹介しました。改めて振り返ると、構成員数40人の組から始まって、最後の山口組では4400人と、その差はなんと100倍です。しかも、どの組にもそれぞれ独自のルーツや歴史を持っており、ただの犯罪組織ではない、複雑な社会的な構造を持っていることが分かりますね。
しかし一方で、全体の傾向としては弱体化が進んでいるのが明らかです。構成員の高齢化、若者の加入減少、資金源の縮小、そして取り締まりの強化によって、どの組織も昔ほどの勢いがないというのが共通した現実でもあります。ただ、抗争事件や縄張りの争いなども起きており、「暴力団はもう終わった時代でしょ」というような認識はちょっと早いというか、現実とは少しずれている可能性があります。
今後、日本社会全体が高齢化していく中で、果たして暴力団の世界はどうなっていくのか?若者が全く入ってこない中で、数の力を失った組織はどこまで生き残っていくのか?このあたりも今後引き続き注目したいテーマです。
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