大学教授が渋谷駅の階段で暮らす理由とは?型破りな人生哲学に迫る

大学教授が渋谷駅の階段で暮らす理由とは?型破りな人生哲学に迫る インタビュー

渋谷駅の階段で生活を送る、御年74歳の富沢さん。一見するとホームレスの彼ですが、実は元大学講師という異色の経歴を持つ人物です。中国の大学で日本語を教え、若かりし頃は月に60万円以上稼ぐフリーターだったという富沢さん。

なぜ彼は今、路上で生活しているのでしょうか?彼の型破りな人生哲学と、お金や幸福に対する独自の価値観に迫ります。

富沢さんの「生き方」5段階評価

富沢さんの生き方は、多くの人にとって「常識」とはかけ離れたものです。しかし、彼の言葉の端々からは、人生を豊かに生きるためのヒントや、困難を乗り越えるための知恵が垣間見えます。彼の人生哲学は、私たちに「幸福とは何か?」を問い直し、前向きな気持ちを与えてくれるでしょう。

  • 見どころ1:常識に囚われない自由な生き方:★★★★★
  • 見どころ2:困難を「自然なこと」と受け入れる柔軟な思考:★★★★★
  • 見どころ3:過去の経験から得た人生の知恵:★★★★☆

元大学講師、型破りなフリーター時代、そして路上生活へ

渋谷駅の階段が「寝床」:元大学講師の異色の暮らし

富沢さんは現在、渋谷駅の階段を「寝床」にしています。最終電車が運行を終え、駅のシャッターが閉まる午前0時47分以降、階段の途中に荷物を広げて眠りにつきます。そして、シャッターが開く午前4時半には一度起きて、地下2階にある別の休憩スペースに移動し、午前8時まで仮眠を取るそうです。その後は代々木公園などで日中を過ごし、再び夜になると渋谷駅に戻るという生活サイクルを送っています。

一般的なホームレスのイメージとは異なり、彼は「生活保護を受けていない」と言います。なぜなら、生活保護の受給額を上回る貯蓄があるからだそうです。さらに、わずかではありますが年金も受給しているとのこと。この話を聞くと、私たちの富沢さんに対するイメージは一変するのではないでしょうか。

中国の大学で教鞭:海外での16年間

富沢さんの経歴で最も驚かされるのは、中国の大学で日本語の講師として教鞭を執っていたことです。16年間を海外で過ごし、そのうち10年間は中国に滞在していました。中国の大学では、放送学科やファッションモデル学科、コマーシャル学科といった多様な学科を持つ大規模な大学で、日本語を教えていたそうです。

彼は「アメリカ文化の中で育った」と語り、アメリカに対抗できる国として中国を選んだといいます。50歳を過ぎてから中国での生活を考え始め、サバイバルツールとして1年間日本語教師の資格取得のために学校に通ったそうです。

そして54歳で会社を辞め、中国へ渡りました。中国での最初の5年間は中国の大学で中国語を学び、その後日本語教師として5年間働きました。定年後は、学生たちとのつながりがあったタイのチェンマイでマンションを借りて5〜6年間生活していたそうです。タイでは、貯蓄と年金で生活できるほど物価が安かったと語っています。

豆知識: 海外での就労や生活経験は、その後の人生において大きな財産となります。異文化の中で生活することは、問題解決能力や適応力を高め、新たな視点や価値観をもたらしてくれるでしょう。

コロナ禍での帰国と路上生活の「自然さ」

タイでの生活は、コロナ禍によって終わりを告げました。タイ政府から「国から出て行ってくれ」と言われ、帰国せざるを得なくなったそうです。日本に戻ってきてからの貯蓄は150万円ほどで、年金も受給していることから、現在の路上生活を選んだといいます。

彼がこの生活を「自然」と捉えているのは、これまでの海外生活で培われた経験が大きく影響しているようです。海外旅行中に飛行機や長距離バス、鉄道の乗り換えなどで、夜を屋外で過ごすことが多かったため、「夜外で休むことが自然だった」と語っています。お金をかけずに生活できるなら外で暮らすという感覚が、彼には備わっていたのです。

貯金はまだ底をつくような状況ではないものの、1日平均3,000円ほどの出費がかかっていると語り、その多くは食事代だそうです。しかし、それでも「貯金が底をつくわけではない」と語るあたり、彼のお金に対する考え方は独特です。

「モラトリアム人間」が語る人生哲学

授業に出なかった大学生時代と月60万円フリーター

富沢さんは、生まれも育ちも渋谷という東京の都会っ子です。上智大学経済学部を卒業していますが、なんと「授業に1回も出ていない」と告白しています。試験だけを受けて単位を取得し、卒業したというのですから、驚きを隠せません。卒業後はフリーターとして生活し、初めて正社員として働いたのは43歳の時でした。それまで「何の疑いもなくフリーターをしていた」という彼の言葉は、私たちに「常識」とは何かを考えさせられます。

さらに驚くべきは、彼がフリーター時代に月65万〜66万円という高収入を得ていたことです。大型コンピューターにデータを落とすという夜間の仕事で、わずか20分程度の作業で、1日4万4,500円ほどの報酬を得ていたそうです。月に15日働くだけで、当時のサラリーマンの月収をはるかに超える金額を稼いでいたというのです。このエピソードは、彼の型破りな生き方を象徴していると言えるでしょう。

豆知識: 「モラトリアム人間」とは、社会人として自立せず、自己形成のために猶予期間を設ける人のことを指します。特に、若年層で社会的な責任を負わず、自己探求に時間を費やす傾向を指すことが多いです。

「モラトリアム人間」としての自己認識

富沢さんは自身を「モラトリアム人間」だと語ります。1950年代に生まれた彼らの世代は、常に「自分は仮の姿で、本当の自分は別なところにいる」という感覚を持っていたといいます。この考え方があるからこそ、あらゆることを「気楽にできる」し、「平気でやれる」のだそうです。

「物事に無責任」と冗談交じりに語りながらも、彼は自分を傷つけないためのメカニズムとして、この「仮の姿」の意識が働いていると分析します。つまり、「本当の自分は別なところにいる」という錯覚が、困難な状況に直面しても、精神的なダメージを軽減しているというのです。

「不幸だと感じたことはない」独自の幸福論

「自分は不幸だと感じたことがない」という富沢さんの言葉は、非常に深く、私たちに問いかけます。多くの人が「ホームレス」という状況を不幸だと捉える中で、彼はその生活を「苦労している気がしない」と語ります。海外での生活経験を通じて、屋外で過ごすことが自然だったという彼にとっては、現在の生活も特段辛いものではないのです。

彼が唯一辛いと感じるのは、日本の冬の「寒さ」だけだそうです。この寒さだけは耐え難く、温暖な国へ再び行きたいという願望があるようです。タイや中国で過ごした経験から、知っている顔もいるし、貯金があれば行けると語り、行きたい場所が決まれば、今の生活から抜け出すことも考えているといいます。

富沢さんの人生は、一般的な「成功」や「幸福」の定義とは異なるかもしれませんが、彼自身の内面では常に満たされているようです。彼の「不幸を感じたことがない」という言葉は、私たち自身の「幸福」に対する定義を問い直し、物質的な豊かさだけが幸福ではないことを教えてくれるでしょう。

この型破りな人生を歩む富沢さんの話は、私たちに「人生の選択肢は無限大である」という希望を与え、どんな状況でも前向きに生きる姿勢を教えてくれます。彼の言う「挑戦」という言葉が、私たち自身の「勝利」につながることを願ってやみません。

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