「このマンガがすごい!2021」オトコ編で第2位に輝き、多くの読者に衝撃と感動を与えた漫画『チ。―地球の運動について―』。地動説が禁じられた時代を舞台に、その真理を追求し、命を賭して「知」を繋いでいく人々の物語は、私たちの心を強く揺さぶりました。しかし、読み終えた後、「あのシーンはどういう意味だったんだろう?」「特に最終章の展開がよく分からない…」と感じた方もいるのではないでしょうか?今回の元となった動画では、そんな『チ。』の物語を深く読み解き、その真のテーマや最終章の謎について考察しています。この記事では、その解説を元に、『チ。』の世界をさらに深く掘り下げていきましょう!
『チ。』の真のテーマ:「生き様の哲学」
『チ。』の物語は、コペルニクス以前の15世紀ヨーロッパ(P王国)を舞台に、「地動説」を証明しようとする人々と、それを異端として弾圧する教会との戦いを描いています。しかし、解説動画では、本作の真のテーマは単なる「地動説を巡る歴史物語」ではなく、「人間の生き様の哲学」であると指摘しています。
なぜなら、『チ。』で描かれる地動説への激しい迫害は、史実とは異なるフィクションだからです。(この点は、前回の動画で解説されていたようです。)では、なぜ作者の魚豊先生は史実と異なる描写を取り入れたのでしょうか?それは、「何のために生きるか」「何を信じるか」「何を美しいと思うか」といった、普遍的な「生き様」というテーマを描くためではないか、と考察されています。だからこそ、天文学の知識がなくても、私たちはこの物語に深く共感し、感動できるのですね。
ポイント:『チ。』は歴史漫画ではなく、歴史をモチーフにした「哲学漫画」として読むことで、より深いメッセージを受け取れるかもしれません。
対立構造:「知性」と「暴力」
物語は、「地動説」を象徴する「知性」と、それを弾圧する教会の「暴力」という、明確な対立構造で始まります。『チ。』というタイトル自体にも、「知(知性)」と「血(暴力)」の二つの意味が込められていると考えられます。
- 知性サイド:ラファウ、フベルト、ドゥラカなど、地動説の研究と証明に情熱を燃やす人々。
- 暴力サイド:異端審問官ノヴァクを筆頭とする、教会の教えを守るために地動説を迫害する人々。
物語序盤では、読者は「知性」を持つ地動説側を「善」、「暴力」を振るう教会側を「悪」として捉え、弾圧される主人公たちに感情移入しながら読み進めることになります。章ごとに主人公は変わりますが、ラファウも、バデーニも、オクジーも、地動説を信じたがゆえに、ノヴァクら教会側の暴力によって命を落としていくのです。
変化する構造:第3章の衝撃
しかし、この分かりやすい「善(知性)vs悪(暴力)」の構造は、第3章で大きく揺らぎ始めます。地動説を世に広めるために結成された異端解放戦線と、そのリーダーであるシュミットたちは、目的のためなら積極的に暴力(殺人)を行使します。今まで「しいたげられる側」だった地動説側が、自ら「暴力」を振るい始めるのです。
さらに、主要人物の一人であるヨレンタは、仲間と地動説の「知」を高次に伝えるため、爆弾を使って自爆します。これは、かつてラファウが思想を守るために自ら命を絶った行為と重なりますが、同時に「テロ」をも連想させる強烈な「暴力」でもあります。
ノヴァクの問いかけ
この変化に対し、異端審問官ノヴァクは重要な問いを投げかけます。「文明や理性の名のもとでは、神の名のもととは比べにならない規模の大虐殺が起こる」と。そして、「神を失ったら人は迷い続ける」と続けます。近代兵器が「人間の知性」によって生み出され、現代に至るまで、より大規模な暴力と破壊を引き起こしてきた歴史を考えると、ノヴァクの言葉は重く響きます。
ここでは、「知性」が必ずしも善ではなく、「暴力」と密接に結びつきうる危険なものであることが示唆されます。「知性」を手放しに賞賛できない、複雑な現実が描かれているのです。
考えさせられる点:「正しい目的」のためなら「暴力」は許されるのか? 「知性」の進歩は、必ずしも人類を幸福にするとは限らないのではないか? 『チ。』は私たちに重い問いを投げかけてきます。
最終章(第4章)の謎:マルチバースと構造の逆転
そして、物語は多くの読者を混乱させるであろう最終章、第4章へと突入します。最大
の謎は、第1章で死んだはずのラファウが成長した姿で登場することです。「え? 生きてたの!?」と驚いた方も多いのではないでしょうか。
マルチバース説
この謎を解く鍵として、解説動画では「マルチバース(多元宇宙)説」を提唱しています。その根拠は以下の通りです。
- 国名の変化:第1章では「P王国」と伏せられていた国名が、第4章では実在する「ポーランド」と明記されている。
- 実在の人物:第4章の主人公アルベルト・ブルフスキは、地動説を唱えたコペルニクスの師であり、実在した人物。
これらの点から、第3章までは『チ。』独自の架空の世界線であり、第4章で初めて、私たちが知る歴史、つまり「現実の世界線」に繋がったのではないか、という考察です。天文学をテーマにした作品だからこそ、宇宙論の一つであるマルチバースの概念を取り入れたのは、非常に興味深いですね!
衝撃的な構造の逆転
物語に戻ると、成長したラファウは、ブルフスキの家庭教師をしています。ある日、ブルフスキが家に帰ると、父が血を流して死んでおり、そばにはラファウがいました。ラファウは「この世の美しさ(地動説の真理)のためなら犠牲はやむを得ない」と言い、地動説の研究資料を燃やそうとした父を、自らの手で殺めたことを告白します。
このシーンは、第1章で幼いラファウが、異端審問官(宗教=暴力)に父を殺される場面と、構図(服装や髪型まで酷似)が全く同じです。しかし、意味合いは完全に逆転しています。
- 第1章:父は「宗教(暴力)」によって殺される。
- 第4章:父は「地動説(知性)」のために、かつての主人公ラファウによって殺される。
第3章まで感動的に描かれてきた「地動説=知の継承」という理念が、ここでは父を殺す理由になってしまうのです。さらに皮肉なことに、年老いたラファウは教会の神父になっています。このラストは、『チ。』が単なる「地動説賛美」の物語ではないことを、強烈に示しています。「知性」もまた、時として「暴力」となりうるし、絶対的な「善」ではない。この衝撃的な結末のために、第1章から周到な伏線が張られていたと考えると、作者の構成力にただただ驚かされます。
作者の意図:神を否定せず、知も絶対視しない
なぜ、魚豊先生はこのような結末を選んだのでしょうか?解説動画では、「地動説を信じる若者たちが、宗教に虐げられながらも世代を超えて知を継承した」という分かりやすく感動的な物語で終わらせることもできたはずなのに、あえてそうしなかった点に注目しています。
それは、作者が「神を否定せず、知も絶対視しない」という、両論併記の姿勢を貫いているからではないでしょうか。作中では、登場人物が「神」を感じる瞬間が度々描かれます。
- バデーニは死の間際に「アーメン」と唱える。
- ドゥラカは死の瞬間に太陽の光に神々しさを感じる。
- 異端審問官ノヴァクも、娘ヨレンタの死に際し、炎の中に神を見る。
特定の宗教を信じなくても、自然の美しさや奇跡的な出来事に「神」のような存在を感じることは、誰にでもあるかもしれません。『チ。』は、そうした人間の感覚を否定しません。同時に、「知性」がもたらす光と影の両面を描き、どちらか一方を絶対的なものとして描くことを避けています。
作者の魚豊先生は、「死について考えると、逆説的に人生の意味についても考える」「いかにして自分に嘘をつかずに自分らしく生きられるのか」といった死生観を語っています。『チ。』は、地動説や宗教というテーマを通して、登場人物それぞれの「生き様」「哲学」を描き、それを評価することなく、読者一人ひとりの心に委ねているのかもしれません。
『チ。』が問いかけるもの
『チ。―地球の運動について―』は、地動説という魅力的なテーマを入り口に、「知性とは何か」「暴力とは何か」「信じるとは何か」「人は何のために生きるのか」といった、深く普遍的な問いを投げかける、まさに「哲学漫画」と言えるでしょう。今回の元となった解説動画は、特に最終章の解釈について、一つの有力な視点(マルチバース説と構造の逆転)を提示してくれました。
この動画を観ることで、作品の複雑な構造やテーマ性への理解が深まり、読み終えた後の「?」が「!」に変わるかもしれません。そして、登場人物たちの様々な「生き様」に触れることで、改めて自分自身の生き方について考えるきっかけを与えてくれるはずです。
まだ『チ。』を読んでいない方はもちろん、すでに読んだ方も、この解説を参考に再読してみると、新たな発見があるかもしれません。全8巻とコンパクトながら、非常に濃密な読書体験が待っていますよ!
この動画(解説)を観るべき? 評価:
- 作品テーマの理解度:★★★★★ – 「生き様の哲学」という深層テーマに気づかせてくれます。
- 最終章の謎解明度:★★★★☆ – マルチバース説は非常に説得力がありますが、解釈は読者に委ねられています。
- 考察の面白さ:★★★★★ – 知性と暴力の構造変化や伏線回収など、唸らされる考察が満載です。
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